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旧時代の支流へのまなざし

街づくりに対して意見することを
私にも許してもらえるとしたら、
旧時代に脇役だった色やデザインを
再評価して新時代に積極的に
取り入れてもらいたい
です。

例えば岡山県は、岡山城の別名が「烏城」だったり、倉敷美観地区周辺が「白壁の街」と呼ばれたりしていることもあってか、
新しくたつ建物もモノクロ(特に黒)が多めなのですが、
旧時代に主役を張っていたモノクロばかりが増えると、モノクロという要素は継承できるかもしれないけれど、
「美観」としてのモノクロが、ありふれたモノクロの一部になっていってしまうような気がするのです。

古い建物の中には、オレンジ色やウグイス色など、長年やわらかく馴染んできた建物もあります。
こういう色合いが脇役のまま淘汰よなげられ、白と黒だけの街が出来上がってしまったとしたら、それはとても勿体無くて寂しいことだと思います。

建物のデザインに関してもそう思います。
どの時代にも主流がありますが、
もし、旧時代からの継承によって新しい主流をつくっていくとしたら、
すでに街に溢れている主流のデザインからではなくて、ぜひ、支流のデザインを再評価して、新しい時代に取り入れてもらいたいのです。
そういう街並みに育まれて、少しずつゼロからのデザインもうまれたらいいな。

人はただでさえ、様々なものを失いながら生きています。
すこしの寂しさは人生にとって必要な香辛料かもしれませんが、
刺激や香味が強い料理を、毎日毎日食べたい人ばかりではないのと同じで、
毎日あるく街並みに「痛み」を感じたい人ばかりではないはずです。
出会い、青春、別離、人生の様々な局面と紐付いている「街の喪失」は殆ど、
「想い出の拠り所の喪失」を意味します。

現代は、旧時代に比べてあらゆるものの流れが膨大かつ速いので、いちいち「痛み」を感じないように上手く適応している人もいるかもしれません。が、それはそれで、「辛い料理を辛い」と感じられないのと同じなので、自分のみならず他人の感覚への共感や理解をも困難にしてしまうかもしれません。

人の心は、できることなら
強い痛みからも、そしてマヒによる無痛からも、遠ざけられていることが望ましいと、私は考えます。

街の景色には、人々をそうしたものから遠ざけてくれる、あるいは和らげてくれるものであり続けてほしい。

旧時代の主流・旧時代の支流・新時代の真新しいものが、一生涯の視界になるべく好ましいものとして、長く、たくさん、見え続ける街を希望します。

ここまでお読みくださり有難うございました(文・早倉線)


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