技術は使い手に依存する ー 魔法を使いこなすために
今、あらゆるところで『AIでなんでもできる』みたいな論がよくみられます。
単純作業から始まり、翻訳や士業の書類処理など私たちのほとんどの作業を自動化し、病気を発見したり、勝手に最適なクリエイティブを作ったりして、もはや人間のすることがなくなる、とまで言われているのはもう周知のことでしょう。
それはある意味正しいのかもしれませんが、ある意味違うのではないか、と私はふと思い始めました。
例えば、画像認識の仕組みってどうなってるの?って聞かれた時、100人中何人が正確でわかりやすく答えられるでしょうか。
いくら技術が発展しても、その原理を知り、正しい応用の仕方を知っている人が少なければ、おそらく社会に根付くのは遅くなるし、アルフレッド・ノーベルがダイナマイトを作ったように違った技術の使い方をする人が現れて急にめちゃくちゃにしてしまう可能性も阻止しにくくなる気がしています。
みんなこういう技術が社会にキてるというのはなんとなく知っているのだけど、もしかしたら実装と実践の間をつなぐような、適切な技術の使い手が圧倒的に足りないのではないでしょうか。
かくいう私も恥ずかしながら浅はかな知識しか持ち合わせてません。(ということに最近改めて気づかされました)
たとえAIの過程がブラックボックスで、それが魔法の杖だったとしても
結局はメラゾーマと唱えてメラゾーマが出せるやつしか戦えないと思うのです。
ファイナルファンタジーの魔法使いとドラクエの魔法使いが全く同じ魔法を使わないように、使い手の知識や経験値がテクノロジーの未来のアウトプットを変えていきます。
先駆的な基礎研究や高度な開発はもうあるレベルのエンジニアしかできないと思っていますが、使い手としてのリテラシーは論文や専門書という魔法書を読んで、ひたすら唱えたい魔法の練習をしたらまだいける気がするんです。(勘違いかもしれませんが)
どんな場面で、誰に、どんな結果をもたらしたいか
そのために何を唱えねばならないのか
この2つがちゃんと見えて、実践できるということが、
イノベーティブ人材の必須要件になりそうな予感がしています。
図解でコミュニケーションを変えることをミッションにここ3年くらい活動