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夫婦〜私はこいつと死ぬまで一緒なのか問題〜

今日は両親の結婚記念日。
出会って3ヶ月でお見合い結婚した2人、本日で晴れて36年目の夫婦である。

毎度結婚の経緯を聞くと、父は「お母さんに騙された!」と言うし、母は「お父さんに騙された!」と双方に言い合うもんだから、何が真実かは神のみぞ知るのだが、とにもかくにも赤の他人の2人が「一緒のお墓に入らないか?」と謎のプロポーズで夫婦になり、3人の娘を育て、親の介護をし看取り、引越し4回、家出1回、子どもの入学式卒業式各15回終え、5回の厄払いをし、夏季オリンピック8回をテレビで見て、36回目の桜の季節を迎え、満開の花をバックに撮ったツーショット写真を娘たちに送り付けていることには敬意を表したい。

300円ショップで意気揚々と購入した自撮り棒で撮っているはずなのに、肝心の顔が見切れているツーショットを連続して送信してくる父と母。60過ぎてもなんやかんや共同生活を営める秘訣は、あんまり相手にピントを合わせ過ぎないことなのだろうか…などど、ただ単に機械音痴の母のピンボケ写真に深い意味を感じ取ってしまうくらいには、私自身、夫婦のあれやこれやに悩んでいる。

そもそも、自分でも吐き気がするほど「君の瞳に恋してる」状態だった、カップル時代から10年。
あの頃はまだ、シャツを着替えているところすら見せられない恥じらいがあったのに。

今やお互いのパンツを畳み合い、
リビングに脱ぎ捨ててある靴下を寝顔の上にお見舞いし、「そこどいてよ!」とテレビ前で寝そべる伴侶のお尻をペシ!と叩き合っている。

あ!長い白い毛が生えてるっ!
といきなり夫の腕の毛を抜く私も悪いが、

おーにーくーと私の贅肉を鷲掴む夫も悪い。

2人のベッドを買いに行く日があんなに輝いていたのに、今やクイーンベッドには私と娘が寝ている。

夫を大切に思う気持ちはずっと変わらないが、時々、娘と夫という子ども2人を相手しているようで怒りが抑え切れない瞬間もある。

今日は正直に書こう。


今朝「早めに車のガソリン入れてくるー!」と、
とっくに家を出ていたとはずの夫。
その間に家事を済ませておこうと
弁当を作り、洗濯物をしかけ、皿を洗い、娘の登園準備を整えていたのだが、
「ママー、パパトイレにいるみたいよー」と娘。

「何してんの?ガソリン入れてくるんじゃなかったの?」と問い正す私に向かって夫は、
「それがね、ガソリン入れる前に違うものを体の外に出したくなっちゃってね。入れる前には出さないと。なんちゃって!アハハハハー」と意味不明のジョークを満面の笑みで返してくる。

ガソリンを入れるのは車であって、お前じゃない!

ただクソしてただけじゃねーか!!!!!

こちとら朝のバタバタで自分の身支度すら満足に追えてないのに!夫の「ガソリン入れてくる宣言」から軽く30分は経過している。

「トイレに籠るな!」というプラカードを掲げて大声でデモ行進したくなる。なんなら、#Dontusetoiletsolong(#トイレ長時間使うな)で世界に発信してやろうかとも思う。

育児に家事に仕事に…自分の時間を削っているという気持ちがあるからだろうか、こんな些細なことなのに夫のマイペースさが頭にくる…

こういう朝が最近、結構ある。

…と、そんなところに、
両親のピンボケツーショットである。

「私たちも30年後、笑ってツーショットが撮れるだろうか…」という一抹の不安と、「そんなの自分次第だよ、もう少し大人になりなさい。」という冷静な脳内分析が錯綜して、ため息をついた。

私の両親も大変な修羅場をくぐり抜けてきたわけで、きっと「こんな人とはもう、やっていけない!」瞬間もあったと思うのだ。

実際、私が小学生の時、姉妹3人とも学校を休んで母と4人、泊まりがけで大阪の祖父母の家に遊びに行った日があった。
私は祖父母の家が大好きだったので「やったー!ズル休みー!新幹線だー!!」くらいにしか思っていなかったが、振り返ってみるとあれは気難しい芸術家の義父の介護を1人っきりで任されているのに親戚界隈から理解のない言葉を浴びせられていた母の、精一杯の抵抗だったのだろうと思う。

うろ覚えだが、その次の日の夜、父が仕事終わりに新幹線で大阪の家まで私たちを迎えにきた。
そんなことは今までなかったので、子ども心に「おお!今日は大阪でお母さんもお父さんも一緒か!嬉しいな!」とはしゃいでいたが、結婚して子どもが生まれ、育児を手伝ってもらっている最中にふとその話題に触れた時、母からその全貌を教えてもらった。

友人も家族もいない土地で、育児と介護を一手に任された母の苦労や気持ちを父が全く理解してくれなかった日々。父も父で、親兄弟と妻との板挟み+教師として朝から晩まで気が張り詰めっぱなしで余裕がなかったらしい。そしてある夜、義父と大喧嘩した母は、耐えていた糸が切れて子供と一緒に大阪まで帰ったらしかった。

「だからあの夜、おじさんたちも家に来たのか!」「せっかく集まったのに子どもは2階でディズニー映画を観させられていたのか!」と節々不自然だった記憶のピースが見事に合致して、ようやくその全体像を理解したのである。

たとえ36年一緒にいたとて、ずっとずっと仲良しな訳がないのだ。もちろん、世界には結婚してから一度も喧嘩したことのない天然記念物的なカップルもいるだろうが、少なくとも私たちは違う。

それでも、健やかなる時も病める時も…死がお互いを別つまで愛しあうと神の前で約束した手前、簡単にはその約束を破れないし、なんだかんだ言っても「こいつと死ぬまで一緒なのかよ」ではなく、「一秒でも長くこの人と生きたいの!」という気持ちで歳をとっていきたいと思うのが本音。

もちろん、DVだとか様々な問題でカップルを解消するべき時はあるし、基本的に心身の健康や幸福や、安全を脅かすものからは全力で逃げるべきだ。

今回は深くそのことには触れないけれど、離婚してから輝いている人もたくさんいるわけで、一概に一人の人と添い遂げるのが「幸せ」とは思わない。

思っていないのだが、

ただ、

トイレが長い、シャワーで音痴な歌を歌う、インスタント食品すらまともに作れない…などと、程度の低いことに目くじらを立てはじめたらキリがなく、どんな人でも際限なくアラが目立ってしまう。

なんと言っても、地球に生まれ落ちて78億分の1の確率で出会った人間同士なのである。願わくはその奇跡的な偶然を、祝福しながら生きていたいのだ。

それなのに「こいつ死ぬまで一緒なのか!耐えられる気がしない!」と思う瞬間があるから困ってしまう。さっきも書いたけれど、私の場合「自分を削って我慢している実感があるから」耐えらない気持ちになるのだろうなと思う。

そしてこの場合、(目下、自分自身の課題なのだが)変わらない相手を責め立てるより前に、削られている自分をまず守ってあげなくちゃ仕方がないのだろう。

考えてみると母もあのプチ家出から帰ってきた後、
全て家族のために費やす専業主婦から徐々に徐々に変化して、地元の合唱団に入ったり、介護士として働き始めたり、アクティブになったような気がする。
あんなに頑固だった父もなんだかんだ、家事を手伝うようになったし、丸くなった。

寄り添うことが愛とするならば、そしてそれが何十年と続くことならば尚更、相手にピントを合わせすぎてしまうと心が疲れてしまうのだろう。

相手へのピントは少しずらして、自分自身の心に対するフォーカスは緩めない。
そんなくらいがちょうどいいのかと、
ピンボケしている36年目の両親のツーショットに
教えられた気分だった。

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