外出自粛開け風呂掃除
小学生の頃、3姉妹一人ずつに家庭内の役割というのがあって、姉は洗濯物、妹は食卓準備、そして私は風呂洗いだった。
多少潔癖症の気があった私は、「体を綺麗にするところなんだから、ピカピカにしなければ」と、追い炊きがまの蓋からボディーソープボトルの底まで毎日せっせと風呂を洗っていた。
そして時は2020年、32歳になった私は、団地の風呂場をせっせと洗っている。小学校の時と同じ、タオルを頭にまいて、泡だらけのスポンジで、隅のすみまで。私がいなくてももう二度とカビが生えないように、徹底的に磨く。
私は親に甘えすぎていたな、と思いながらカビキラーをかけ、数分待って、シャワーで洗い流す。いつだって両親は「私たちは2人でちゃんとやってるんだから、自分のことに集中しなさい」と言っていて、だから正直、安心していたところがあった。まだお母さんは70にはなっていないし…
でも、外出自粛が解除されて、心配になって実家に来たら全然大丈夫ではなかった。同じ商品が複数個、別々の場所に置いてある。PCのMicrosoftのパスワードがわからなくなり、何個もメールアドレスを作り直して、挙句、メールが使えず困り果てている。足を手術した後の父は特に、見るからに体が小さくなって、杖がなくては歩けない状態だった。会えなかった時間、毎日両親とはLINEで通話をしていたし、困ったことがないように心がけていた。でも、画面で見るのと実際を目にするのでは、全然違う。全然。スクリーンには映らない、年老いた夫婦の生活がそこにあった。
家に着くと「一番風呂だよ」と風呂を促してくる。しゃがんだり立ったり、風呂掃除を頻繁にするほど体力がないのに、私と娘が帰ってくると言ったら、風呂を磨き、私の好きなかきあげを揚げ、団地の玄関まで迎えにきてくれたのだった。娘の好きなバナナもヨーグルトも、アップルジュースも全て完備してある。普段から慎ましく暮らしている二人なのに、私たちがくると知って大判振る舞いしたのだろう。その相変わらずの世話焼きに「そんなにしなくてもいいよ」と言いながら、最終的に甘えてしまう自分が情けない。
せっかく洗ってくれた風呂だったのに、入って見るとそこらじゅうのカビが目についた。老いは、こういうところに出てくるんだな、とタイルを凝視する。両親は目が悪くなり、カビが生えているのがよく見えなかったようだった。私がほっておいたからだ、と頭を打ちたくなる。小学生の頃から私の当番だったのに。風呂掃除を徹底的やろうと決めて、グーグルマップで近くのドラッグストアを探し、必要な道具を買い揃える。決戦は、今日。次に帰ってくる日まで、カビが生えないよう徹底的にやっつけるのだ。
この秋、私と娘は夫の待つラスベガスに引っ越す。その後、帰ってくる予定はない。もちろん、一時帰国はあるかもしれないが、海外赴任ではないので、いわば「骨を埋める気で」引っ越すのだ。飛行機バンバン飛んでるし、会いたければすぐ会えるよ。そんなことを言っていたのだが、コロナが広まって少々話が変わった。会いたい時、会うことが叶わないかもしれない。力になりたい時、そばにいられないかもしれない。その一抹の寂しさと不安が頭に浮かぶたび、タイルをこする手に力が入る。できることは、今やるしかない。
風呂掃除を終え、エラーがそこかしこに出ている父のパソコンを修理し、母が後回しにしている戸棚の掃除に精を出した。二人がなるべく健やかに、楽しく暮らせる家であるように。次に会う時まで、元気でいてくれるように。祈るように、黙々と作業をした。
大げさに玄関の扉が開き、「今日はハンバーグ作るよー」と娘と母がたくさん材料を抱えて帰ってくる。また、私の好物だ。風呂を洗おうが、パソコンを直そうが両親の愛には敵わない。完敗だ。きっとこれからも、いつまでも、そうなんだろう。