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良質な孤独を持つという事

ここ数年は家に引きこもっていて、家にはテレビも無いので、世間からは孤立した生活をしている。

テレビが無いと言っても、今ならネットやSNSが有るので情報には事欠かない。

情報は入り過ぎている位である。

他者から離れて孤立しているのは良くないと、少し前に親に言われた。

私が大変だった時には、何も助けてくれなかったのだから、何と言われてもそれは気にしない。

「あんた何しとんの??」これは働いて居るかどうかを聞いているのだな。

「今は年金と娘の給料で2人でやっとるから。」なんで、この年で親に言い訳しなければならないのか疑問である。

「あかんに、家にばっかりおったら、私は85迄働らいとった。」何だか自慢げに言う。

私とあんたは違うのよ、ヘイリーヘイリー病で擦れたら直ぐに肌荒れするんやから、行くだけで酷くなるんよ。

心の中で反論するが、言っても仕方が無いので、黙っている。

「私の知っとる人も、年金を貰ってるけど、学校の先生やったから、今でも少しは続けて、親の介護までしてるんやに。」

だから私は他人とは違うんよ、介護する親もいないし、(親は2人とも元気だから)大体介護して欲しいの??

『お前は他所に行った子やから、もう家の子や無い。』って何度言ってきたんや。

それが問題だとは思わないけど、大事な息子と、娘になった息子の嫁が居るやん。

やはり少しだけ拗ねた気持ちになるのは、自分が大変だった時には何も手伝ってくれなかったからだろう。

歳を取っても(自分はそれ程年を取ってはいないけど)、働く事は良い事で、私も死ぬまで働きたいと思っていた。

それが閉経後にヘイリーヘイリー病になって、どれだけ薬を付けても治らない。

治ったらこれもしよう、あれもしたい、仕事もしてと考えていた、治らなくても仕事をしていたけれど、悪化するばかりだったのよね。

それが治らない病気ですよと知って、家に居たい、家で書き物をするのが夢だったと思いだした。

ずっと考えてはいたけど、その意味では病気が後押しをしてくれたのだから、病気に感謝すべきかもしれない。

我が母は、よく動き回る人で、未だに山に写真を撮りに行ったりしている。

1人で行くのでは無くて、写真のグループが有って。そこでの交流が楽しいらしい。

山で迷子になりそうになって、スマホを買ったと言っていた。

それはそれで喜ばしい事だと思う。

98歳で山に芝刈りにでは無く、写真を撮りに行くのは、元気でいいし、そこで若い人間との交流をすると、ボケ防止にもなる。

父親は文を書きたいので、基本的には家に籠って小説を書いている、こういうのをいい夫婦と云うのかもしれない、知らんけど。

母親が心配しているのは、私が外との関係を断って、引き籠っていると感じているからだろう。

まあね、引き籠りですけど、何か!!

それを言うなら、そこら辺のご老人は皆引きこもりやん、私だって買い物くらいは行くし、社会と隔絶している訳では無い。

社会と隔絶していたとしても、問題はその人の孤立では無く、孤独なのではないだろうか?

そう、社会から見た立ち位置では無く、本人の精神の方がより問題になってしまう。

チベット仏教の僧侶で、ゲシェ・ロブサン・ツェフェル過去25年間、ほとんど人に会わずに孤独に生きてきた。

彼は、他者への慈悲の心を深め、善悪すべての出来事に対する平静さを養うには、瞑想の時間をとる必要があると、瞑想に集中する時間を増やすため、この生活を選択した。

彼の完全な孤独は罰だったのか?

この生き方を後悔したことがあるかと尋ねると、「一度もありません」と彼は答えたらしい。

孤独と孤立は同じ様に見えて、まるで違う、自発的な物か、他者から引き離されてかと云うのもある。

又、社会的な交流をネガティブに感じるかそうで無いかは、実は人それぞれだ。

読書や熟考(考え、熟慮し、反省する)、瞑想などの個人的な活動で充足感を得られる人間は、生活満足度が高いらしい。

私にとっては良質な孤独が、文を書く手助けになっている様に思う。

娘は、外に出た方が書けるでしょと言うが、外に出ると刺激が多すぎて、子供の作文になってしまう。

子供が大学に行く時に、4人目の子供は「大学には行かない、専門学校に行って早く社会に出る。」と言った。

その時に私は「大学は言っておいた方が良い、私達は今ならお金を出せるけど、後になったら出せないかも知れない、大学に行くと、社会が俯瞰して見えるから、絶対に行った方が良い。」と言った。

娘が、俯瞰して物を見られるようになったのかは、謎になるが、今の私はちょっと俯瞰して世間を見ている様な所が在る。

世間の騒ぎも、外から見て、自分の考えを纏める事が出来るし、批判も同調も他人に流されずに出来る。

良質な孤独が自分の中に溢れて、1人でいる(娘とは住んでいるが)メリットを感じている。

あなたは娘と住んでいるのだから、孤独じゃないでしょと言われるかもしれない。

そうなんですけど、まあ辛い孤独は6人家族でいた時の方が感じていた。

厳しい孤独は雑踏の中に有るのかもしれない、私はそう考えている。

良質な孤独はなかなか持てないのだからね。




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内山祥子
文を書くのを芸にしたいと思っています。 頑張って文筆家になります。 もし良かったらサポートお願いします。 サポートしていただいたら本を買うのに使います。 ありがとうございます。