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それが奇跡でもね

生きていると、嫌な部分も、いい部分も有って、誰から見ても、何処から見てもいい人というのは居ないと考えている。

その人がいい人とか悪い人とかの判断だって、誰にとってとか、何にとってとかによって、感じ方は変わってくる。

例えば、大好きな人が多い坂本龍馬などは、司馬遼太郎氏の小説によって、英雄視されていますが、「船中八策」とか「大政奉還」「薩長連合」の立役者だったとかの印象がありますが、殆どは違っています。

「船中八策」は勝海舟や佐久間象山らから教わったことを纏めただけ。

「薩長連合」は薩摩藩の家老・小松帯刀(たてわき)が大きな役割を果たしており、坂本龍馬は関与して居ない様だ。

「大政奉還」に至っては、本当に何もしていない。

彼が歴史上で行ったのは、亀山社中を作ったことで、これは所謂商社で、経済で国を牛耳ることが大切だと考えていたからだろう。

実際、「大政奉還ももちろん大事だが、それより江戸の銀座を京都に移して貨幣鋳造権を幕府から奪ってしまえば、将軍職がそのままであっても、幕府など恐れるにたりない」と言っていたらしい。

その上商人として武器を扱っていたと成れば、当然売国奴扱いする人間も出てくる。

私は別に坂本龍馬を批判する気も、司馬遼太郎氏の描き方を、問題視するつもりもない。

ただ単に人間は照射する向きによって、光と影は交錯する、ある場所から見たら、凄い聖人に見えても、他の方向から見るとただの口の上手い奴だったと言う話もあったりする。

実際に伝記作家などは、わざとその人の偉業を一方から焦点を当てて、その方向だけで見たりしている。

作家の名は忘れてしまったが、ある事件で新聞社がコメントをお願いした時に、このコメントはどっちの方向のコメントを書けばいいんですかと、聞いた作家が居たらしい。

本当にね、そんな物なんですよね。

誰だって自分の為を考えているし、どんなに他人の事を考えている様でも、自分やその周りを考えるのが人間の常だ。

バチカンではマザーテレサが聖人に認定されたが、マザーテレサでさえ批判的な人が居る。

彼女が居た神の愛の宣教者会の施設は劣悪な環境で、患者たちは不衛生な環境の中で満足な食事も与えられず、鎮痛剤もなく、医療ケアが十分に行き届いていなかったらしい。

それなのに彼女は高額な医療施設に入って居たらしい、その上投資家のチャールズ・キーティング氏から100万ドル以上の献金を受け取っていたのが分かって居る。

彼女が起した奇跡が本当なのかは解らないが、慌てて聖人にするのはどうだろう??

勿論、多くの人々に希望を与え、人が嫌がる仕事を自ら進んで行ったのは、立派な行いで、否定できない事実だとしても。

現代は聖人には成り難い時代だ、自分の生活を穿り返せば、何処かに1つくらいは問題が出る。

元々、カトリック教会では聖人になるのに、100年近くかかっていた(181年位???)、現代の人間が即座に聖人になるのは難しいんじゃ無いのかな。

そう考えていた私に、現代の人が聖人に認定されるらしいと言う記事が目に飛び込んできた。

えええー、なんやて、聖人なんてこの世界にいやへん、いやへん、私だけでなくそう考えるよね。

イタリア人のカルロ・アクティスさんは、間もなく本物の聖人になろうとしているらしい。

ローマカトリック教会は、2006年に白血病のため15歳でこの世を去ったアクティスさんを、ミレニアル世代(1980~1990年代頃に生まれた世代)で初の聖人に列することを7月1日に承認したらしい。

この方が何をした人かと言うと、テクノロジーに詳しく、世界中で起きた聖体の奇跡をまとめたウェブサイトを作成したことなのだそうだ。

カトリック教会では、立派で高潔な人生を送って神の永遠の臨在に入った、つまり天に帰ったことが正式に認められた人物が、聖人とされる。

聖人と言っても、地上において崇敬の対象となるだけで、教会にその人のための祭壇が設けられたり、記念日が定められたりするだけだ。

実は聖人として認めて貰うための調査は、誰でも申請する事が出来る。

先ずは、その申請に本当に価値があるのだということを、自分の教会の神父に説明し、納得させる必要がある。

基本的には死亡してから5年は経って居なければ為らない、審査が始まると、現地の調査員が候補者の著作物を丹念に調べる。

そして、その人物の徳を示すような、信仰、希望、慈愛、正義、勇気について、その人物を知っていた全ての人に話を聞く事に成る。

徳が示されていたら、教皇の承認を経て、聖人の前々段階である「尊者」と宣言される。

つぎに奇跡について調べる。

その人が1つでも奇跡を行ったことが示されれば、「福者」とされて、2つ目の奇跡が起これば、聖人として教会に正式に認められるようだ。

考えればこれって、大いなる大人の事情が絡んでくるような気がする。

バチカンが若い信者を取り込みたいと思ったら、若くして亡くなった信仰深い人間を聖者にしたらいい。

結局の所は誰かが決めているのだから、聖人の考え方は難しい、例え奇跡を起こしたとしてもね。


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