禁足地だからこその大事な物
そう言えば、東京で樹木を切る計画が目白押しらしいですね、あんまり知らんけど、東京には意外と木が多いと娘が教えてくれた。
土地の高い場所に集客する施設を作りたい気持ちは、痛いほど良く分かる、だけど長期的に見て、それがベストの選択なのかな?と考えてしまう。
三重県だって人の事は言えないのかもしれないが、神宮の森のほとんどは禁足地で入る事さえ許されていない。
私は皇学館高校に通っていたのだが、生物の先生がその高校の先生になったのは、神宮の森で苔の研究を続けたかったからだと聞いた。
ホンマかそれー、その時期はそう思って居たのだが、大学の研究室にいるよりも神宮の近くに居る方がより研究できると踏んで、その先生は高校の教師になったらしいです。
後に新発見したって聞いたから、そこに居て良かったんだろうね、皇学館の先生は研究の為なら、特別に入って良いと言われていたみたい。
今は知らんけどね。
神宮の森は研究されて無いから、中に入って研究すれば新発見も有るのだろうが、基本それは許されない。
禁足地で一部の人間しか入るのを許されていないからね、たぶん沢山の人間の入山を許せば、それだけで森は荒れる、神宮の森に珍しい物が在るのは、年に1度の祭りの参加者だけしか入山できないからだろう。
入るのも儘ならないのだから、木を切るなんて以ての外、遷宮の時期に木を切らせて頂くだけである。
これも遷宮の木を自給自足できるように計画して切っている、「神宮森林経営計画」と云うのを1923年から始めて、2013年に行われた62回目の遷宮で、約700年ぶりに宮域林から御造営用材の一部分(間伐材)を供給できたそうです。
こう考えると木を育てるのは時間が掛かる、それでも切るのは一瞬で出来てしまうのだ。
東京には無駄に木が有ると言った人を知っている、無駄って何なんだろう?生産性が無いもの?
じゃあ生産性って何だろう、お金を稼ぐことだけが生産性って言葉に為るのかな。
今流行りのカーボンニュートラルは如何した、この議論では爪の先程も話題にならないね。
神宮の森は守ってきたからこそ価値がある、観光客に踏み荒らされてしまって居たら、今の森は存在しない。
そして、私達は次代にお金には代えられない大事な物が有ると、伝える事は出来なくなっていただろう。
お金儲けが悪いわけでは無い、人間にはお金が必要だ、宗教法人が土地の高い都内で税金を払い続けていくのは、至難の業なんだろうと思う。
だけど、今木を切ってしまって、商業施設にしたら、もう気は無くなってしまう。
次代の人の為に、国や都は木を残せるように、考えても良いんじゃ無いかと思うのは私だけでは無い筈だ。
税金の取り方使い方が見直される時期が来たのじゃないのかな。
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