孤独と一緒に生きる
肌荒れが酷くなってから、殆ど家に居る、そこで文を書いているのが楽しいので、問題は無い。
自分の話を誰かに聞いて貰って、好きなんて貰った日には飛び上がって喜ぶよね。
コロナ禍で家から出なかった人も居ただろうけど、もうそろそろみんな外に出て話をしているのかな。
結婚していた時には働いていたり、子育てもしたりして、近所のお母さんたちと話したりもしていたから、今一番他人と話していない時期かも知れない。
子供の頃は虐められたりもしたので、人と話をしたいと思わなかったし、結婚した後は必然としての会話だった。
そこで自分を表現来ていたかと言えば、そうでも無いなと思う。
ずっと家に居ると、娘以外の人とは話すことが無くなってしまう、だから孤独を感じるのが普通なのかな?
私に於いては皆と話せなくなっても良いかもと考えたりする、たまに外に出ると話したりはするけどね。
孤独に対する耐性みたいなものが有るのかも知れない。
皆、自分を受け入れてくれる場所って有るのかな、無いならきっと孤独を感じている筈だよね。
孤独って1人で居る時よりも、多くの人と居る時の方が感じる、私だけかも知れないけどね。
子供の頃は自分の気持ちを表現するのが苦手だった、早く話せとかちゃんと説明しなさいってのが駄目な原因。
人に依ってはそれでハキハキ話せるんだろうけど、私の場合は考えて口に出すのに一拍あったんだよね。
その一拍が親や親戚には遅いやら、とろいやらになっていたみたいだ、同じ年の従姉妹がシャキシャキしていたから余計になんだと思う。
「あんたは本当に頭悪いなー。」って感じに言われると、もう話せなくなってしまうよね。
何処でも一拍が有ったから、先生も頭の弱い子だと考えていたみたい。
結婚して子供を産んだ時に子供としか話せないのに、孤立感を感じたよね、夫は仕事が忙しいと言って話が出来ないし、親とも疎遠だし。
夫の会社に入って仕事した時には、外に出ているので話はするけど、経理や事務の話は出来ない。
外で立ち話の時間も少ないけど、出来たとしても本当に話したい事は言えないんだよね。
こう考えると、他人と話が出来る環境にいて、それでも自分の気持や悩みを言えない方が、孤独なんじゃ無いかなと感じている。
自分をすり減らして生きてきたから、孤独って感じなくなったのかも知れない。
スーパーのレジの仕事の時には、「直ぐに人と仲良くなるね。」そう言われた。
でもそれって客と店員の関係で、絶対に話せないものはあるよね。
これからどうなるか解らんけど、きっと孤独を友達として、頭の中に忍ばせつつ、生きて行くんだろうと思う。
どんな環境になってもね。