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ビョークは如何かな??
次女は、昔、名古屋の映画館にしか掛かっていない映画をよく見ていた。
名古屋の映画館にしか掛かってない映画って??と思われるかもしれないが、四日市では大手の映画しか見れない。
その点、40分も電車に乗れば名古屋で小さい映画館でしかして無い物が有る。
その頃は私も忙しくて、ゆっくり映画なんて夢のまた夢だったので、次女がちょっと羨ましかった。
羨ましいからにはその映画の事を聞いてみる。
「今日はどんなの見てきたの??」
答えはその日によって違って、あれはアカンだと云う事もあれば、ええ映画やった、お母さんも見た方がええよというのもあった。
その中で、ちょっと異質なコメントが有って、私の記憶に残っている。
「物凄いええ映画やった、本当にええけどお母さんは見やん方がええわ。」エッ、ええ映画やなのに見たらあかんの??
「何であかんの??見てもええやん。」自分が否定されたみたいで聞いてみる。
「別に嫌な意味では無いよ、いい映画やったけど物凄い後味が悪い映画だったんよ。」と答える。
その話題の映画がビョークのダンサーインザダークだった。
私はその頃ビョークという名前は聞いた事が有っても、歌を聞いた事も無ければ、活動も知らなかった。
次女に言わせると、彼女の能力は物凄いし、生き方そのものが違うという。
「ビョークは凄いと思うし、面白いとは思うけど、ビョークみたいになりたいとは思わんな。」ビョークが好きな次女にして、そんな言葉を言わせてしまうビョークってどんな人なのだろう??
私の中にはいつも疑問があった。
疑問があったとしても、それ程知りたいとも思ってなかったのは、私の好きな音楽とはちょっと系統が違うかもという考えが有ったからになる。
そのビョークのルモンド紙のインタビューがクーリエジャポンの載っていた。
どんな人なんだろうと読む事にすると、彼女が特別な人だと云うのが解ってきた。
11歳の時にアルバムを出して、それが売れてしまって、バスに乗っていても、道を歩いていても、みんなが自分に気付くのが嫌だったそうだ。
承認欲求が強めの人には解らない気持ちだが、彼女は他人が作った歌(胃綱が)を歌っていただけなのが、嘘に感じたらしい。
その後、声の持つ力を感じて、色々なバンドで歌を歌っていたと語っている。
彼女の母親が、エラ・フィッツジェラルドやエディット・ピアフを聴かせて、「送られてくるエネルギーの量が途轍もないでしょう。これが歌うということなの」と言っていたという。
人の声には力がある、これは絵とか文とかにも見られる物かもしれないが、人間自身が持つ楽器としての声は人に届く。
昔、美術館に行った時に、それまでその絵に持っていた感覚とはまるで違った受け取りがあった。
声も絵もそのエネルギーは向かってくるものが違う、その人の中の溢れ出た感性が人を刺激するのだろうな。
2つのバンド活動を経て、彼女は初のソロ・アルバム『デビュー』を出して、それがヒットする事になる。
そして30歳にはスターになっていた。
映画に出たのはその後で、彼女は映画に出たくなかったと話している。
「私には幸運にも天職が一つありました。その天職以外のことをするのは、それが女優業であろうと、床掃除や歯科医業であろうと、時間の無駄なのです。」
天職と自他共に認めるものが有るのは幸福な事なのだな。
「私の音楽を守り、その音楽を体現することに関しては、誰も私にはかなわないという理屈を口にするので、要望に屈してしまいました。」との事だ。
結果は最悪の事になったという。
映画自体は(ダンサーインザダーク)2000年にカンヌ国際映画祭でパルム・ドールをとり、ビョークも最優秀女優賞を受賞しました。
だけど、撮影現場は暴力的でした。
私は世界で最もフェミニズムが浸透している国からきた女性であり、セクシュアル・ハラスメントも家父長制も知りませんでした。
それに対し、ラース(監督)は古い世界で暮らしてきた男性であり、彼の業界では、女優は監督の持ち物であるかのように見られていました。
監督だから、好きなだけ私に触ることができましたし、私の自由意志も奪いました。
私にとってあの撮影は、集団レイプでした。あの映画を見返すと、まるでスナッフ・フィルムを見させられている気分になります。
ビョークの中で映画の本質とはそんな物だったのだろうか?音楽でのコラボレーションは実り豊かだったと言っているのだが。
最後に彼女はテクノロジーについてこう言っている。
「私たちの望みとは無関係に出現するのがテクノロジーです。私たちアーティストの役割は、そのテクノロジーのどこに人間的な部分があるのかを指し示すことです。思うに、どんなテクノロジーも、最初は人類を破滅させかねないと考える人がいたのではないでしょうか。火や自転車やマイクを見て、最初はそう反応する人がいたはずです。
でも、どんなテクノロジーにも、1%以上は人間的な部分があるのです。それを見つけ出すのが私たちの仕事です。」
そして誰もが考えるアーティストが出来る事とは。
「私たち一人ひとりに役割があります。命を作り出すのか、それとも破壊を選ぶのか。毎日、一人ひとりが選択を下すのです。この世の終わりは、もうやってきました。私たちは、それが過ぎたあとの世界に生きているのです。問われているのは、私たちがこれから立ち上がることができるのかどうかです。私は、それができると確信しています。」
これはダンサーインザダークが見たくなってきた。
「今なら配信しとるに。」という次女の声を受けながら、まだ見ていない私である。
今度見てみようかな??
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