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戦勝ちて天下善なりと臼うは、善の善なりもに非ざるなり(平凡な勝ち方の裏には努力と知恵がいる)|4月10日
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戦勝ちて天下善なりと臼うは、善の善なりもに非ざるなり(平凡な勝ち方の裏には努力と知恵がいる)
本項の「戦勝而天下臼善、非善之善者也」は前日に続く平凡礼讃の言葉である。その意味は、戦いに勝って天下の人々が、すばらしい戦闘指導だとほめるのは、最高にすぐれたものではない。たとえば信長の桶狭間の合戦や毛利元就の厳島の合戦などは、これ以上すぐれた戦いはないと思われるが、孫子はそれは最高の勝ち方ではないというのである。
では彼はどんな勝ち方が最高だというのか。秀吉の山崎の合戦や鳥取城の攻略がそれだというのである。秀吉の作戦には名作戦がない。だが彼の勝ち方はいつも無理がない。無理がないということはリスクがないということだ。一つ間違えば、という綱渡り的な危険性がない。損害も少ない。勝つのが当然だという勝ち方で勝つ。筆者はかつて、秀吉が名将か凡将かどちらかと考えたことがあった。孫子は秀吉こそ名将中の名将という。非凡を越える平凡の発想、これが善の善なるものと教えるのである。だが平凡の実現には大変な知恵と努力がいる。
4月10日、孫子一日一言の言葉です。
おはようございます。
平凡で当たり前に勝つ。
私もいままでは派手な合戦に憧れていたり、義に溢れた敗軍の将に感動したりしていました。
改めて考え直すところであります。
実際考えてみると秀吉は凄いと思います。
無理がない当たりまえに勝つ。
極力、兵に被害の少ないかたちをとっている。
相手が戦う前に負けている絶対に勝てないと思わせることも必要だし考えてみると損害は一番少ない。
天下統一までの戦いは最高ですがそのあとが問題ありでしたけどね。
今日も一日がんばります。
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