ロリータ服は当時の戦闘服だった
好きな事を色々思い出す中で、大切なものを書き忘れていた。
それはロリータである。
精神そのものも、お洋服もである。
私は10代から20代前半、ロリータ服をこよなく愛して基本それらを身に纏い生活をしていた時期があった。
単純にバンドブームがあったように、パンクやゴシック、ロリータファッションがブームという時代背景もあったと思う。
でもその中でもこよなく愛したお洋服はロリータ服だった。
当時映画『下妻物語』が上映されていた時期、私はその当時の『BABY, THE STARS SHINE BRIGHT』の本店 代官山店で働いていた。
大好きなロリータ服を着て、本店に立つ。
当時の私にこんな嬉しいことがあっただろうか?
元々はダメ元で事務所に履歴書を送ったところ、ラッキーな事に面接がすんなり通って拍子抜けした記憶が残っている。
仕事は代官山の本店(当時)と恵比寿の事務所を行き来する。事務所で梱包作業をしたり、本店でお客様の接客・対応をしたりする。
通勤はそのままの格好で電車で。
その頃はまだまだ原宿エリアにもロリータファッションが溢れていた気がするが、いつも渋谷駅で変な人に絡まれるのでうんざりした記憶もある。
そして何より夏は大変なのであった。
基本、ロリータファッションは重ね着が多いと思ってもらって間違いない。
例えばパニエ。
これはスカートの形をふんわりと丸く整える為にスカートの下に履くものである。
そしてドロワーズ。
こちらも下に履くものである。
他にもお袖留、ボンネット、とにかく身に付けるものが多く、どれもふんだんにフリルが施されている。
サイコーかな!!!!?
最高である。
精神がロックである。
見た目がフリフリしていようが、中身は間違いなくロックだろう。
こんなクソ暑い夏の最中にこんなに重ねてフリルを纏い涼しい顔をして美味しい紅茶を素敵なカップで頂くのだからな!!!!
もちろん日傘もフリルをふんだんに施したBABYの物を使用。
当時、私の精神は暴力・暴言・カルトの激しい家から出て1人暮らしを始めてすぐのことで、振り返れば私はその不安定なアイデンティティをロリータの精神と共に洋服として身にまとって自身の心も守っていた。
ロリータは当時の私にとって大切なアイデンティティの一つであり、ロリータ服は私の戦闘服だった。
社会に出るのが怖いと言うレベルではなく、人間そのものに激しく恐怖する自分にとって、どうしても外に出る時に必要だったのだ。
ありがとうロリータ。
その激しく強い精神と、また、裏腹に少女性を強く守り押し出してくれた純粋な世界と、可愛いフリルだらけのお洋服は私を守ってくれた。
今はもう着る事は無いけど、今でも大好きな大切なロリータ。
ふと、最近は身につけるもので何かこだわりはあったかな?と振り返ると、唯一帽子にはこだわりがあった。
東京に来てから20年以上。
様々な帽子屋さんを見てきたが、結局ずっと買い続けているお店は『CA4LA』
シンプルでいて、少しアシンメトリーやクセがある帽子がとても好きで、洋装にも和装にも合わせる。
そしてそこそこの値段がするものもあるが、長く使えるので結局安いものをそのシーズンのみで使用するよりずっと良い。
環境にも精神にも、良い。
また、『CA4LA』での取り扱いもある『薔薇色の帽子』こちらはとても可愛いクセ強めの帽子が多くてやはり大好きです。
写真を整理していて気づいたが、帽子だけじゃなくて、私は頭に何かを付けたいらしい。
ロリータ時代の名残りかもしれない。
いつもボンネットかヘッドドレスをつけていたものだから。頭になんかないと寂しい。
これはCA4LAで購入したヘアターバン。
CA4LA以外だと唯一ピンクハウスの帽子がありました。
着ている洋服はロリータファッションでは無いですがそういうのが好きだったのだろうなという名残りは感じますね。
ありがとうロリータ!!!