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日本の味

みなさん、こんにちは。

日本の味は何をイメージされますか??

私はダントツお茶漬けが美味しいです。

特にタンパク質も取れる鯛茶漬けがおすすめです✨

最近、仕事に集中しすぎて、ご飯を後回しにしがちで、夜9時や10時にお腹が空いてくるのですが、お茶漬けならあまり罪悪感もなく、食べれます。

色んなものをお茶漬けにして頂きますが、その歴史を調べました。下記はWikipediaより抜粋です。

茶漬けの始まりは、番茶や煎茶が普及し、茶が庶民の嗜好品として定着した江戸時代中期以降と言われている。煎茶には若干のグルタミン酸ナトリウム(うまみ成分)が含まれており、煎茶独特の芳香と相まって白湯を掛ける湯漬けより美味である。ただし、庶民においては、番茶をかけるのが一般的であった。

今日の茶漬けの直接の始祖は、当時商家に奉公していた使用人(奉公人)らが、その仕事の合間に食事を極めて迅速に済ませる為にとった食事法であると言われている。当時の奉公人らは一日の殆どを労働に充てており、また食事時間も上役に管理されていたため、自然とこのような食事形態が発生した。奉公先の質素な食事の中で漬け物は、奉公人にとって自由に摂れるほぼ唯一の副菜(おかず)であり、巨大なサイズの大鉢などに山のように盛られることが多かった。そのことも茶漬けという食形態の定着に大いに関係したと推測される。未だ現在のように炊き上がった飯を保温する技術が無かったこともあり、冷えてしまった飯を美味しく食べる手段として、また手早く食事を済ませる手段として、湯漬けなどと同様に、茶漬けはその利便性から非常に重宝され普及した。

また、元禄時代の頃より茶漬けを出す店として「茶漬屋」も出現し、庶民のファストフードとして広く親しまれた。江戸時代後期に刊行された江戸名所図会に「看板の八八はつは茶漬は人皆の八百八町しれる江戸桝」、「客こんで出す廣ぶたの鉢合せ八八茶漬もうれる江戸桝」がみえ、江戸では六十四文をもじった「八八」が茶漬屋の看板に記され、通称で八八茶漬と呼ばれ繁盛したことが窺える。ただし、茶漬屋は簡単な食事をする場所という位置付けであって、茶漬けだけが出されていたわけではない。横浜美術館に常設展示されている開国初期(江戸時代末期)の写真のうち三島宿を写したものは、街道に茶漬屋がひしめいていた様子が記録されている。この写真の中の茶漬け屋の店員、客、通行人は全員が驚いた顔でカメラ目線で写っている。これは開国間もない明治維新以前の安政年間で、大きな写真機を抱えた外国人の撮影者がよほど珍しかったのであろう。ただしこの時の止まったような印象から、茶漬け屋の軒先に客が腰掛けながらこちらを一瞥する様子や、お盆を持って立ち止まる女主人、店によって暖簾も「茶漬屋」「ちゃづけ」と様々な表記が見られるなど、当時の茶漬け屋の様相もまた窺い知ることが出来る。


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