毎年この時期になると五月病と言う言葉を耳にする。
会社や学校に行くことが億劫になること。
ネットで調べてみると
”新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状の総称である。”(ウィキペディア)
だそうだ。
この時期なんて言ったけど、社会人だと誰でも、割りかし常にこんな気分の方も多いんじゃないだろうか。
上司からの理不尽な要求や、押し付けられる残業。
これらは相手からの一方的な感情も含まれるもので、それに逆らうことによる逆境の方が面倒で、ついつい思ってもいない”はい”なんて言葉が口から出てくる。
”何がはいなんだよ”
と自分で思った時にはすでに遅く、相手の理不尽さへのイライラ、それを口にできない自分自身への苛立ちが日々募っていくばかりだ。
そんな毎日が続いていく中で、”あいつは仕方ない”程度に上手に流し、気にせず過ごせる人もいる。
しかしどんなに小さなことでもいつまでもイライラが残り、そのイライラが大きなストレスとなって、いつしかうつ病や五月病になる人もいる。
私は、物事を深く考えられる人が五月病やうつ病になりやすいのではないかと思う。
なぜなら、考えられない人はまず落ち込むまで考えが至らない場合が多いから。
他人の責任として処理し、自己解決してしまうから。
以前、あるプロジェクトで苦手な先輩と同じチームになったことがあった。
この先輩は感情的に人に当たることがしばしばで私もそれに振り回された経験がある。
そのプロジェクトはさらに上司からの指令で、ある手順に沿って進めていかなければならなかったのだが、その先輩は上手くいかないことをその手順のせいにしていた。
しかも大声でみんなに向かって”この手順が理解できない。自分でやった方が上手くできる”と豪語していた。
私からしてみると、その手順を使って結果を出せないと言うことは、自分で自分の能力がないと叫んでいるようで恥ずかしくてできない。
しかし、本人はそういうことに気づいていないのだ。
私はその現実を見たとき呆れてしまった。
その先輩はただの悪口、そして自分の能力の証明をしたかったのだろうが、その悪口を口にすることで自分の価値が下がっていることに気づいていない。
愚かだと思ってしまった。
それ以来私と先輩の距離はますます離れていくばかりだ。笑
この苦手な先輩を理由に仕事ができない、何て私は言いたくない。
感情をぶつけられることは決して楽なことじゃない。
でも、その人たちを超えるという意味ではあらゆる意味で負けてはいけないのだ。
優しい人よ、負けないで。
あなたこそ、現場に必要な人なのだから。