クリストフ・マルターラー演出の妙。政治的な演劇とは?

クリストフ・マルターラー演出「Die Wehleider 痛みをわずらう者たち」、長引くコロナ禍でついにレパートリーから外されます。大人数が出演する、しかも多くはドイツ国外からのゲストなので、コロナ禍では難しく、2020年1月が最後の公演でした。もう一度やりたかった。2016年12月2日に初日を迎えてからハンブルク・ドイツ劇場のレパートリー作品として何度も公演しました。私にとって初めてのマルターラー作品。長年憧れていたマルターラーの世界にどっぷりと浸り、稽古中は皆と毎日歌の練習して、演出上もいろんな場面で活躍させてもらって。日本人の知人友人に1番沢山観に来ていただいた出演作かもしれません。以下は初日から半年くらい経った頃の思い。まさにトランプ政権真っ只中の頃。今読むと、また違った視点が生まれてきます。

2017年5月7日の日記。
ドイツ演劇は政治的か?または政治的演劇とは何か?一例として、昨晩の奇跡のようなマルターラー公演の覚書。

クリストフ・マルターラー演出、シュテファニー・カープのドラマツルグ、アンナ・フィーブロック舞台美術衣装、ハンブルク・ドイツ劇場レパートリー作品「Die Wehleider(マルターラー氏による造語で「痛みをわずらう者たち」の意味)」は2016年12月2日に初日を迎え、以降上演を続けてきた。出演者は大所帯の19人、ほとんどがハンブルク以外のドイツ、スペイン、フランス、スコットランドなどからマルターラー氏が集めたキャストで、この19人が揃う日程を組むのは並大抵ではなく、他のレパートリーに比べ公演数はとても少ない。昨晩は第9回目の公演だった。にもかかわらず昨晩は、初日以上に大きなアプラウズ、ブラボー、スタンディング・オベーションで終わった。初演時には思いもよらなかった位、この作品が今の世界を生きる私たちの問題を映し出していることを出演者も観客も感じた。演劇は言葉の芸術だ。瞬間に発せられる言葉を出演者19人と観客千人で分かち合い、今を生きる私たちの痛みを分かち合うような、そんな奇跡のような公演だった。忘れたくないのでここに書いておく。

この作品は、ゴーリキーの「夏の避暑客」を元にする予定だったが、それよりもっとアクチュアルに、現代を生きる我々の辛さ苦しみをダイレクトにセリフにしたい、という意向で、ゴーリキーの言葉を使うのは2シーンのみ、他はマルターラー氏、カープ女史、もしくはキャスト自らの提案で創作したセリフで成り立っている。

舞台は、古び壊れかけた体育館。そこに政情の為どこかから避難せざるをえなかった金持ち達が、やって来る。彼らは大金を払い、特別な避難場所として、この精神治療プライベートクリニックにやって来た。彼らの不安、トラウマ、鬱は深刻だ。例えば寝言で語られるこんな悩み。

「私の家で他の家族と同居なんて出来ない。私には100平米の家全てが必要なんだ。もう一つバスルームを作るのも嫌だ。」(避難民を自分の家に間借りさせるプロジェクトがドイツには多々ある)

「マッサージとパーソナル・トレイナーが月一度だけ?無理よ、それって毎日必要なものでしょ?」

「我々の持ってた価値観はどうなるんだ?我々の文化は?受け継いでいくべき価値観、文化、それがどんなものだったかさえ分からなくなってしまった」

金持ち達の贅沢な悩み、でも本人達にとっては深刻な悩み。それらのセリフがマルターラーのユーモアあふれる選曲の合間に語られる。例えばマタイ受難曲、例えば賛美歌「全ての人は死なねばならない」etc。

ファスビンダーのパートナーでもあった往年のスター女優イルム・ヘルマン演じるクリニックの所長と、移民らしき外国人トレイナー3人が、セラピーなのか苦行なのか分からないプログラムを展開する。体操、綱引き、そして医療ボール。医療ボールというのはドイツ軍が発明した重たいボールを使ったセラピー。それを持ちながら皆が口々に本音を語る。

「安い労働力は歓迎だ、不法じゃ困る、でも安いに越したことはない」

「日本はお手本になるわ。昨年28人の難民しか受け入れなかった。私達はとても怖がりなの」

「同居人の希望。猫好きな人。シングル・マザーと子供を希望、うちの家事をやってくれる人が必要なため」

このシーンの直後歌われる歌は、カーニバルなどで泥酔時に歌われる下世話な歌。同僚が「恥だからこれは日本に紹介してくれるな」と言うくらい下品。ネーチャンをナンパして連れ込んで、とか、ロシア野郎は何でもニェット、とか人種差別女性蔑視極まる内容、でもメロディはシャウエッセンのCMみたいに明るく楽しい。このブラックなセリフのシーンと酔っ払い曲の組み合わせが、ヨーロッパ人の抱える矛盾、本音と建前をあぶり出す。この毒がマルターラー演劇の大きな魅力。昨晩この曲の後に拍手が起こったが、それも「拍手していいのか・・」という一瞬の戸惑いを感じる拍手だった。

かと思うと、メンデルスゾーン「緑の森」を晴れやかに歌う。ヨーロッパの森を感じる美しい歌。この曲は日本でも戦前から歌われ日本語訳もあることを知り稽古場でマルターラー氏に言ったところ「歌ってごらん」と。ソロで歌うのは緊張するけれど、皆に支えられ心を込めて歌っている。

一変、ゴーリキーの「夏の避暑客」のセリフが続いた後、トランプ氏にそっくりな男が演説を始める。

「皆さん、我々の国は危機に面している。奴らは嘘と、貧困と、臭い匂いと、要求を持ってやって来る。私は見たくない、嗅ぎたくない、考えたくない。奴らは去らない。我々の言語を学ぼうとしない・・私はあなた方の大統領です」

昨晩、このシーンで観客の息を飲む音が聞こえた。2016年12月の初日の時点ではまだ大統領になってなかったトランプ、それから色々なことが起こった今、とてつもなく深刻な意味を持つ言葉となったのだ。

マルターラー演劇を観客として観ていると、その歌われる曲の美しさにまず魅了される。(埋もれた名曲を探し出してくるのに、マルターラー氏と音楽家の大変な労力がかかっている。)

しかし曲の合間に語られるセリフも是非知ってほしい。その内容と、バランスと、配置。真実を見つめるシビアな観察眼と愛溢れるユーモアが絶妙なバランスの、彼独特のブラックユーモア、それがどれほど考え抜かれたものであるか。今回初めてマルターラー作品に参加して、そのことを思い知った。

そして今回の作品では、今世界に起こっていること、ヨーロッパ人の心に起こっていることをシビアに見つめ、そして愛を持って作ったからこそ、半年経っても、アクチュアルな作品であり続けられるのだろう。

そして、時間があれば、この作品を全て日本語に訳して紹介したいなとも思っている。来日公演は無理だろうけど、せめて字幕付きビデオ上映会が出来たらいいなと思います。

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