息が詰まるようなこの場所で
いわゆるタワマン文学
わたしはタワマン?
40年位前のタワマンなので
36階建てですが
の前の3階建ての一軒家に住んでいます
築40年というと
管理費以外に修繕積立金も大変みたいで
知人がそのタワマンの35階に居住していて
たしかに景色はいいのだけれど
なれてきたらもはや
カーテンも閉めたまま
外を見ることもないと言ってました
さてあと10年20年したら
この建物はどうなるのだろう
建て替えとかできるのかしら
初期は確かにお受験戦争とかでバチバチも
あったようだけれど
いまは住人も高齢化し、入れ替わり
バブル前期、バブル最盛期に売買されていた時ほど
富裕層が居住しているわけでもないので
タワマン文学の中心になっているのは
ここ10年くらいに建てられた
50階建て以上のタワマンなのではないか
自分がもしタワマンに住むなら
高層階がいい
だって低層階に住むのは
タワマンのメリットもなく
デメリットのほうが大きい気がする
ここにあるように意味もなく
高層階の住人に引け目感じ
自分より低層階の人には何となく
優越感を感じてしまう
そういう低俗な感覚から
自由ではないわたしだから
でもどこに住んでいようと
タワマンであろうが一軒家であろうが
東京でも地方都市でもぽつんと一軒家でも
ひとは閉じ込められていることに
変わりはないだろう
自分、という
自分の脳?自分のからだに
閉じ込められていることは
間違いないのだから
それを意識し始めたときの閉塞感
そこから目を背けなければ生きていけない
どこに住んでいようと
自分、なのだ
自分がどうするか
自分がどうしたいか
他人との比較ではなく
自分の物差しに
自信を持つことが大切なのだろう
でもタワマンって
比較対照する相手が
緊密な空間に集められ
しかも上下関係
所得の多寡がそのまま
タワマンの上下階に
顕著に表れてしまうから
なかなかに厄介だ
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