戦争しないでください
カムチャッカの若者が
きりんの夢を見ているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球で
いつもどこかで朝がはじまっている
谷川俊太郎の「朝のリレー」の一節だ。このあとも、世界中の「朝」をリレーしていく。
このリレーの走者は子どもたちだ。
大人は入っていない。
「朝のリレー」は、世界中で子どもたちが朝という未来を迎えていく。
ウクライナ侵攻のニュースを目にする度、耳にする度、この「朝のリレー」が頭をよぎる。
ウクライナの子どもたちは、朝を迎えているのだろうか。
日本では、コロナ禍でも環境問題でも、大人が決めたルールに子どもたちは従っている。
給食の黙食、修学旅行の中止、運動会、授業の在り方等など、わたしたち大人が当然と学生時にしてきたことが、制限されている。
たどたどしく言葉を発する幼児でさえも制限のルールを守っている。
それに異を唱えたくとも、決定や改定が出来るのはわたし達大人で、子どもたちが「いやっ、つらいっ。」と異を唱えたとしても、マスク着用や行動制限も変えられない。
ウクライナ侵攻でも、戦下の子どもたちは大人が決めたことに従っている。
その心情は、推測するに苦しい。
今も恐怖で震えている。
お腹が空いても空いたと言えずにいる。
壁を壊され雨風を凌ぐものがない子もいる。
震える心を抱きしめてくれている親は生きているのだろうか。
コロナ感染対策も、戦争も、、
それに従うのは、大人に委ねるしかない、子どもたちが含まれている。
子どもたちが戦争を望んでいるだろうか。
わたしたち大人が出来ることは何?
未来へのバトンを渡すこと。
読んでくださり、ありがとうございました。