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誠実という思考放棄

ごくたまに、ずっと忘れられないフレーズがある。小説でも、漫画の一コマでも、映画でも、曲のワンフレーズでも。

そのひとつが、朝井リョウさんの『どうしても生きてる』のなかの短編「籤(くじ)」のこの台詞である。

「なぜ、吐露した側はそこで悦に入ることができるのだろう。こんなにも醜い部分を曝け出せたという点を、自分の強さ、誠実さだと変換して勘違いできるのはどうしてだろう。さもその一秒後から新たな自分が始まるとでも思っているらしいことも、不思議だ。」

朝井リョウ『どうしても生きてる』

4年前くらいに読んだ本なのに突然思い出したのは、離婚した友人が、相手の浮気が原因であることをポツリポツリと話しだしたからかもしれない。(本人に許可をもらってこれを書いている)

「不倫してたことを告白して、相手は嘘ついてたこと正直に言えたからスッキリするよね。その上で許すか許さないかは、わたしが決めてほしいんだって。そのあと辛い意思決定をするのはわたしなんだよ。離婚しても苦しいし、離婚しなくても苦しい。」

友人は結局自分で決めたけど、そのときどんなに孤独だっただろう。二人でした結婚なのに、ひとりで離婚を決めなければいけなかった。

なにか発言したあとの「結果」に対して、自分が責任を負うことを想定しながら、思考し、実行できる人は少ない。その結果に自分が決をとるほうが茨の道であり、「正直に、自分の醜さを公開する」ほうが、実はとても簡単な場合もある。

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