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#48 ひとりでがんばらなきゃは誰のせい? 〜拝啓数ヶ月前のわたしへ

今日は数ヶ月前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

今日は数ヶ月前のわたしへ。数ヶ月前のわたしは頼れる実家がありながらも、頼ってはいけない実家だとおもっているところがあった。

いまの自宅には、第一子妊娠後、実家と程よい距離にしようとわざわざ近くに引っ越してきた。
利便性を考えつつ、実家からは車で15分の場所だ。

幸いに、実家の父母は元気で、仕事をしていたり趣味を楽しんでいたり、それぞれのペースを保って生活している。

これまでも、出張が多い主人のいないときには実家に行かせてもらい、ご飯や洗濯やお風呂など、不自由なくすごさせてもらった。ありがたい。ふたりとも子どもを見るのも上手い方なんだとおもう。


ずいぶん、頼ってるじゃないですか!
と、言われるとおもうのだけれど…

実家にいくことに、家事をしなくていいという大きなメリットがある代わりに、仕事時間が圧倒的に減る、というデメリットを感じていた。

これは、お迎えのタイミングを父のペースに合わせることで、終業時間をかなり早めること。実家に行った後はこどもの相手は自分がしているためだ。


今回、主人の入院でてんやわんやになったことをきっかけに、かなり無理をいって、実家でも仕事をさせてもらう時間をぐぐっと増やしたり、お迎え自体をお願いすることが増えたりした。

すると、まだバランスが悪い部分も多いけれど、そうとう、実家でも仕事をできたり、気持ちのゆとりが増えたりしたのだ。

この感覚はかなり大きく違っていて、両親の負担は爆上がりしていると思うのだけれど、わたしは本当に助かっている。


なにが違うのか。物理的に違うことは大きくあると思うのだけれど、1番違うのはわたしの心理状況だとおもう。

「ちゃんとした母をやっているわたし」を今回のことで手放したのだ。


わたしは長女でもあることもあってなのか、プライドが高かったり、よく見せたいおもいも強く、1番甘えたらいいところを、甘えてはいけないところに認識していたのだ。もともと片付けも家事もできないのはバラバレなのに、なにを守っていたのだろう。変なパフォーマンスが減った感覚なのかもしれない。

そんなこんなで、実家のありがたさや、父母の愛を感じることになるとは思っていなかった。

現実はシンプルで捉え方次第である。

いつも邪魔なのは自分のプライドなんだとおもう。

ひとりでがんばらなきゃいけないのは、自分がそうしているからに他ならないのだと知った。


とはいえ、もちろん、状況が揃っていなければそもそも難しいこともあるわけで、恵まれていることに感謝すべきだし、その分還元できる自分でいたいなと思う。大変な状況の中でがんばられているみなさまには、頭が上がらない場面ばかりです。くれぐれもご自身を責めたりはしないでくださいね。本当にお疲れ様です!!!

改めて、数ヶ月前のわたし。ビックリするとおもうけれど、頼ってみるといいとおもう。ありがたいよぉ。

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