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コンテンツとの向き合い方についての言語化 

「毎日15分、noteを書く」。
15分はあっという間です。
書いて、見直して、
少し書き直したら終わってしまいます。

でも。
一応毎日noteに向き合えています。

明るい未来のイメージから

15分を目一杯「書く」に集中させるために、
私は、準備期間に下記のことを考えました。

①期間中に書くテーマ
②期間中に何本の記事を書くか
③ ②の流れ

「あれもこれも書きたい」
「こんな思いも出てきたから、これも書きたい」
「あ〜、でも時間がない・・・」
そして時間が過ぎ去っていった数か月。

今回は21日間チャレンジという機会を
作ってもらったので、
「これを書きたい」をいくつか出し、
ざっくりとした21日間の設計図を作りました。

①こんなふうになっていたいな(理想の未来を描く)、
②そのために、どんなテーマや内容があったらいいかな(いくつも書き出す)
③これを組み立てるとどうなるかな(マインドマップ)

私は普段のお仕事の中でも、
コンテンツづくりをするときには、
明るい未来を描きながら
細部に落とし込んでいきます。

在りたい姿を見出していく

普段は「コンテンツづくり」という言葉を使っていますが、
私にとってコンテンツづくりは、
「新たに何かを作り出す」という感覚ではなく、
「在りたい姿を見出していく」という感覚に近いものです。

コンテンツ自身が、もうすでに
「在りたい姿」を持っているように感じます。

だから例えば「育児クイズパパ力検定」も
「パパ力検定は、アイデアが生まれた時から、
こういう姿になりたかったんだな」
なんて思います。

私がやっていることは、コンテンツの本質を
探り、磨き、周りを整備し、
在りたい姿に近づいていけるようにサポートする。
そのようなことを通じて、
ひとつの作品を描いているような気持ちでいます。

Mandala(曼荼羅)のように

6/8の東京新聞に掲載されていた一枚の写真に目が行きました。
カメラマン宇佐美雅治さんの曼荼羅シリーズの1枚。

宇佐美によると<Manda>が「本質」で<la>が「説明する」。
中心に主人公を置き、仏教の曼荼羅図のように周囲に
人を配して、世界の本質を示そうとする作品だ。

東京新聞22面「外苑再開発 アートから対話を」より

私が感じている、自分のコンテンツへの向き合い方は、
曼荼羅図を描くことに近いのかもしれない、と、
なんだか妙に納得したのでした。

生きるアート

尊敬する大先輩が編集した
『エレガント・シンプリシティ 「簡素」に美しく生きる』(NHK出版 サティシュ・クマール著 辻 信一訳」)の中に

アートというのは、こころのありかただ。
あなたのこころが名声、富、権力などへの誘惑から解きはなたれた状態で仕事がうまくいったとき、その仕事はアート。科学や政治やビジネスにたずさわる人びとも、自分の仕事を、愛と想像力をもってするとき、アーティストとなる。

という一節があります。
西洋的な意味での「アート」のイメージが強かった私は
思わずこの一節に線を引きました。

そして、
コンテンツに向き合うときの
自分の姿勢について、改めて
内側と外側からの視点に気づくことができたのです。

最近は、子育て系のものにとどまらず、
いくつかの専門領域の
コンテンツに向き合う機会も増えています。

依頼通り・設計図通りに作るのではなく、
私は、私自身の想像力のフィルターを通して、
私自身も納得したものにしていきます。

それは、荒削りの原料から本質を取り出していくような工程を経て、
曼荼羅図を描いていくようなものでもあります。

この記事のテーマは「私自身の、コンテンツとの向き合い方について言語化する」でした。

最後まで読んでくださりありがとうございました。


ワーママ21日チャレンジ「毎日15分間、noteに向き合う」。

こちらの企画に参加しています

▼チャレンジメンバーで、noteを書いている方々▼(


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sachi |LINE公式アカウント×Lステップ プロデューサー
最後までお読みいただきありがとうございます。いただいたサポートは、他のクリエイターさんへのサポート及び、息子たちとの”寄り道アイス”に使いたいです。