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Greenからのリスタート|映画ログ『Daughters』(津田肇, 2020)

親友という関係は、実に曖昧で、意外と緊張する。「境界」を超えてしまったのではないかと、ドキリとすることが度々ある。

親友、ベストフレンド、マブダチ。これの肩書きは、曖昧な関係を「仮置き」できるから本当に便利だ。だけど、この枠組みは、ほんの些細なきっかけでヒョイっと超えられてしまう。

小春(三吉彩花)と彩乃(阿部純子)のルームメイトという関係も、「境界」を溶かしながら少しずつ変わっていく。仲睦まじい姉妹のように、初々しい恋人のように、慈しみに満ちた夫婦のように、頼りあう親子のように。彩乃のお腹が大きくなるにつれて、様々な色合いを帯びていく。

2人だけの秘密の世界

少し横道にそれるが、『フランシス・ハ』(ノア・バームバック, 2012)という作品では、親友という多義的な関係が本当にしっくりと表現されている。主人公フランシスは、恋愛・愛・人生に求める関係性についてこのように語っている。

それはパーティ
お互い別の人と話してる 笑って 楽しんで
ふと部屋の端と端で目が合う
嫉妬や性的な引力のせいでもない
***中略***
そこに2人だけの秘密の世界があるの
他の人達からは見えない

フランシスが「2人だけの秘密の世界」を共有するのは、元ルームメイトの大親友ソフィである。ラストシーン間際、ダンス発表会後の喧騒のなかフランシスとソフィは他人の肩越しに目を合わせる。そして、秘密めいたアイコンタクトと含み笑いを交わす。

『Daughters』でも、小春と彩乃が示し合わせたようにパーティーを抜け出して、誰もいないプールに(勝手に)飛び込むシーンがある。おそらくそこに決定的で明確な動機があるわけではないけれど、なんとなく分かち合える「2人だけの秘密の世界」があるのだと思う。

女ふたりで家庭をつくる

女性どうしの親友という関係性は、無垢な少女にだけ許された温室のように描かれ(ざるを得ない)ことが多い気がする。共に女学校を営む親友ふたりの関係を描いた『噂の二人』(ウィリアム・ワイラー,1961)では、片方の婚約を機に、友人という立場が破滅していく。同性愛蔑視という社会構造が交錯しながら展開するストーリーは、本当に心苦しい。先の『フランシス・ハ』でも、「2人だけの秘密の世界」が最後まで残るとはいえ、ソフィの婚約によってふたりの道が明確に分岐する。

いっぽう『Daughters』では、彩乃の出産というインシデントを契機に「家庭」という紐帯が築かれはじめる。一緒に産婦人科を訪れたり、ベビーベッドを組み立てたり、妊婦さん教室に通う姿は、家族である。

『Daughters』に感じる心地よさの正体は、ここにある。親友だって「家庭」を作れるのだというポッとした希望。「家庭のように」という比喩ではなく、概念としての「家庭」。

無理に"mothers"や"fathers"といった役割を演じなくても、"daughters"のまま家庭を作れるのかもしれない。「私たち、大人なんだからさ」と嘆息混じりに袂を分かつ必要もないのかもしれない。

"Green"からのリスタート

それでもやはり、お互い赤の他人であることに変わりはないから、どちらかの人生に染まる必要はない。それは、明確に分けられた二人のテーマカラーでも象徴的に示されている。小春は黄色で、彩乃が青色。そして二人の中間色、緑。

ラストシーン、彩乃が産んだ子を乗せて二人の車が走り出すとき、Chelmicoの"Green"が流れ、車窓に目黒川の新緑が映り込む。

ふたりの中間色である緑、曖昧な境地からの、リスタート。




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