ヤングケアラーだったんだね

ヤングケアラーという言葉を最近耳にするようになった。先日も厚労省でヤングケアラーについて調査を行ったようだった。

私もヤングケアラーだったようだ。もう30年以上前のお話。そのころのことを少し思い出したので記事に。

父の車椅子を押して歩く。父をお風呂に入れる。病院についていく。先生の話を聞く。ご飯も作っていた。これが大変だったのか?と言われても正直その時は当たり前だったし、大変とは思わずやってきた気がする。

それでも一番つらかった思い出は小学校の卒業式に父が一緒に歩けなかったこと。母はいなかったしお父さん子の私は、父親と歩きたかった。(当時は小学校の卒業式後教室で談話があって、そのあと親と並んで帰るという風習があった)姉の卒業式の時、父と歩いていたのを見てたのでそれができないのが辛かった。しかし不思議なもので中学の入学式などはそんなこと思いもせず(笑)

さてヤングケアラーの話に戻すと、家の中で子供が親を介抱したりすることが問題ではなくて、

家族や周囲の大人に子どもが「ヤングケアラー」である認識がない
ヤングケアラーである子ども自身やその家族が「ヤングケアラー」という問題を認識していない

ということなんだと思う(私もだったけど)まあこれ、気にしてたら生きてけないものね。お父さんが元気ならよかったと思ってもどうしようもない。でも同級生に父がバカにされたときはケンカしたけど(もう時効でしょう(笑))

「隣の家庭は隣で色々あるってこと」と思って生きてきたからかな?

家庭内のことは他の方にはわかりません。わかってくれようとしても無理。だって人ぞれぞれ違うもの。分かると言っても表面的なことのみです。

例えば、私は中卒から美容師になりたかったけど、美容学校に行くための金額を聞いて諦めました。「そんなお金無理」先生もお金の問題はどうもしてやれないから、親戚に相談しようか?とも言ってくれたけど「しなくてもいい」と答えた。この時超絶反抗期。また誰かに頼れば何か言われる。と。

確かに親の介護で自分の夢を諦めたのも事実。

これが親のせいとは思ってない。だって最終的にはあきらめたのは自分の意志。どうしてもなりたかったら、その意志を伝えたと思う。

だから自分で生き方を決めたのも事実

最終的に思うことは・・・

ヤングケアラーという存在の家庭があるってことを理解して知ってもらうこと。これは大事なことなんじゃないかなーと。当たり前のことができない家庭があるってこと。老老介護と同様。これから核家族化していくわけで、お年寄りに子供に親に家庭に(って全世界に住む人にだね)優しい世の中になればいいな。
そして今ヤングケアラーのみんな無理しないでね。誰かにちょっとだけでも愚痴を弱音を言っても大丈夫。あなたの事を誰も否定しないよ。

近くにヤングケアラーの子供がいたら話を聞くだけでもしてあげてくださいね。

おわり

NPO法人オカヤマビューティサミット

トータルビューティ研修センター&サロン結

さっちゃんネル


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