オーディンスフィアプレイ日記⑦(コンプリートエンドとクリア後感想)

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ついに胸を張って言えます!
オーディンスフィアをクリアしました!

とても、とても面白かったです。パズルのピースを埋めていくような、進むにつれて徐々に繋がっていくストーリーにどんどん引き込まれていきました。アクションパートも、キャラクターによって動きに個性があって楽しかったです。食事システムも面白く、新しいレシピを獲得して作ってもらうたびにワクワクしていました。音楽も素晴らしかった。クリアした後もサントラを流して何度も曲を聴いています。
本当に、本当に楽しかった。

今はクリアしてから何日か経ったので、振り返ってみて「面白かった!」と言えるのですが、エンディングを見た直後から何日かは、メルセデスとイングヴェイが死んでしまったことがショックで(ここの2人が特に好きだったのと、なんだかんだいって最後は彼らも再会して幸せになると信じていたので)だいぶ落ち込んでいました。
コンプリートエンドを見るためのエンディング回収もしんどかった…。トゥルーエンド以外だとみんな死んでしまい、絶望しか残っていない結末はとても辛かったです。
だけど、絶望しか残らない辛い結末を何度も見たからこそ、トゥルーエンドの最後のシーンで緑が芽吹く大地を見たとき、世界に再び希望が生まれたことが、「希望を捨てるわけにはいかない」というオズワルドの台詞が、とても心に響きました。

ただ、メルセデスがダーコーヴァと戦うと、イングヴェイと一応は再会出来るんですよね…。最期に気持ちを伝えて消えていくシーンは切なくて美しいと感じたし、空に向かって悲痛に叫ぶイングヴェイの姿も印象的ではあったので、あれはあれで好きではあります。世界は救われないけど…。でもどっちにしろ2人とも新しい世界で生きていくことは出来なかったしな……うっ、また思い出して辛くなってきました。

そして、コンプリート後に追加されたストーリー。

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プーカの呪いってただ単に姿が変わるというだけではなかったのですね!魂が大地に還らず、プーカのまま永遠の時を生きることになる。
彼らは、グウェンドリンとオズワルドが紡いだ希望をずっとずっと見守ってきたんですね…。
呪いを解いて人間に戻れば、100年も経たないうちに老いて死ぬだろう。
それでも、「呪われた姿で永遠に続く生よりも、限られた時間を精一杯生きる方が尊いのではないか」と言うベルベット。

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そして人間の姿に戻るベルベットとコルネリウス。
2人とも元に戻れた…良かった……。

ところで、願いを叶える前に王様が言った「そこにいる、共に歩んできた者たちも聞け」という言葉はプレイヤーに向けられたものですよね?
突然でびっくりしたんですが、なんだか自分も物語の登場人物のひとりになれた気がして嬉しかったです。

■エンドロールとその後

エンドロール、何度見てもしんみりしてしまいます。オーディンスフィアのテーマ曲、とても好きです。どこか切なくて寂しくて、とても綺麗で美しい。

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この前、映画の「レディプレイヤー1」を見たんですけど、ゲームの作り手から「遊んでくれてありがとう」と言われると、ものすごく…こう、感極まってしまう…。なんでしょうねこの感情は。こちらこそ、こんなに素敵なゲームを作ってくれて、ありがとうの気持ちでいっぱいなので…。泣いてしまう。

この最後の一枚絵、最初に見たときは気付かなかったんですが、これ木の根もとにあるの、メルセデスのサイファーなんですね…。
荒廃した大地に緑が溢れたのは、メルセデスのおかげだったんじゃないかと思うんです。大地に還ったフォゾンが巡り巡って草木が芽吹いて、彼女自身の魂も大樹に宿ったんじゃないかと。

そんなしんみりした気持ちでじっと画面を見ていると。
するするとカメラが動き、木の根が下に伸びていく。


………

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あぁあああぁぁあ゛

もう、見た瞬間に涙が溢れてきました。
こんな、最後の最後に…こんな……。

真っ暗なこの場所は、きっと死者の国なんですね。
大樹の根がずっと伸びて伸びて、やっとたどり着いた先で、花を咲かせる。メルセデスが冠にしていたのと同じ、あの白い花を。
やっと2人は再会出来たんですね…。
出来れば、本当は、彼らには生きて再会して、お互いの話をしながら笑いあったりしてほしかったです。
それでも、この絵にとてもとても救われました。
良かった…。

(後で色々調べたら、PS2版だとこの絵はなかったらしいですね。まじか…そんなの成仏できなすぎる…。追加してくださって本当にありがとうございます…)

■カーテンコールのこと

エンドロールが終わって、しばらく留まっていると、唐突にカーテンコールが始まる。
大好きなゲームが終わってしまった瞬間は、いつだって名残惜しい。
でも、大好きなものがいつまでもずっと続いてほしいという気持ちはあるけど、"終わりがある"ってのもそれはそれで良いものだと感じるようにもなりました。終わってしまったからこそ、時々思い出しては懐かしくなったりする。そういう感覚も好きです。

カーテンコールのこと、どう解釈したら良いのかしばらく考えていました。
タイタニアの通りで、商人に話しかけられる。ドラゴンの騒ぎがおさまった後のようで、街には人が戻っている。
作中の物書きである人物の視点で見てるのかな〜と思ってたんですけど、どちらかというと画面のこちら側の、プレイヤー自身に語りかけているような気もする。
手に持っている珍しいものと、バレンタインの記念硬貨を交換しないか?と持ちかけられる。手に持っているもの…作家だからペンか何かか?
何かと交換して、バレンタインの硬貨を手に入れる。

あぁ、これは…これはきっと、アリスが持っていた本の表紙にはめ込んであったあのコインだ。

ということは、あの本の作者は私自身だったということか…。本の読み手のつもりで物語を見ていたけど、それと同時に、書き手でもあったんだ。
今まで見てきたストーリーは、結末はみんな同じだけど、道中どういう戦い方をして、どこで苦戦して、何を食べたか、細かく見ればそこはプレイヤーによって違う。
だからこれは私の、私だけの"オーディンスフィア"なんだ。

商人が渡した「何か」は、コントローラーなのではないか?と考察している方のnoteを見ました。
確かに、ゲームのプレイヤーが持っているものといえばコントローラーである。
コントローラーを置くことで、登場人物たちはゲームの中に、私達は現実の世界に戻っていく。それは読んでいた本を閉じるとき、舞台の幕が降りるのを見るときの感覚と似ている。カーテンコールが終わり、目の前の画面にタイトルが大きく表示されたとき、私は似たようなものを感じた。
メタ的ではあるけれど、素敵な表現だと思った。
さっき上でも書いたんですが、物語の登場人物になれた気がして嬉しかったのです。

今回もプレイ中のツイートまとめを作ってみたので貼っておきます。

遊べて良かった。大好きなゲームのひとつになりました。

それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました。


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サチカ
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