他人と紡ぐ、柔らかな糸 執筆中の小説について
執筆中の小説
永遠のジュリエッタ 運命の輪は何度も廻る
これは、20年ほど前に構想した、脳内映画
の文字起こし。ただ、今の私のパラレルから
見ているので、人物設定と主人公の思考が
構想同時とは変わっている。
今の言葉で表現するならば、
私も、私に描かせてくれる、主人公も
人生をずいぶんと詰んだな、ということ。
脳内映画を文字起こししながら、
たくさんの感情が巡ってくる。
詰まっていた感情が出て来て、人生の
やるせなさに向き合い、憂鬱さに辟易
しながら、私の癒しが起こっている。
今朝、目が覚めて、ふと思ったのは、
いわゆる、カルマなのかな、と。
私も、いじめや陰湿な陰口、態度、
パワハラ、モラハラ、差別などに
たくさんあってきた。
そして自分も心のどこかで、そういう
気持ちがあって、100%中立で
ノンジャッジメントで生きてきたかという
と、そうではない。
それでも、酷いことを言われてきた、
と思う。けれども、相手を許して愛を送る、
という、偽善的なスピリチュアルで
二次的な自虐をしてしまうよりも、怒りや
悲しみを持ち続けてしまうことの
カルマを残さない。
過ぎゆく時代の中に手放してしまえ!
と思った。
小説 永遠のジュリエッタのテーマは
他人と家族になること、家族の形。
今の時代だからこそ、過渡期だからこそ、
人との関係が、より尊重され、より優しく、
それでいて、まず自分があって、自分が
自分を生きていて、そこに、血縁でない
存在と結ぶ、柔らかな糸がある。
家族の形、小説の中では、亡き伯母夫婦の
最愛の娘は馬である。イタリアで生まれた
サラブレッドのジュリエッタ。
そしてそのジュリエッタと伯母夫婦の
絆を、あたたかな眼差しで見続けていた
牧場長も家族なのだ。
ジュリエッタが結ぶ家族。
奇しくもお盆であり、
血縁とは何であろうか、と考えた。
私は父母を看取った。父は25年前、
母は15年前。あれから長い年月が過ぎている。
三姉妹の三女である私が、父母の人生を
見届ける役割であった。
長女の姉とは物理的に、心情的に疎遠であり
次女の姉とは心情的に疎遠だ。
血縁者と疎遠であることを、悲しい、
孤独だと思った時もあるし、人混みに
行くと、そういう感情を拾ってきてしまう
こともある。
けれども、自分が中心にいて、自分を
生きていて、そこから人と紡ぐ、優しい糸が
編まれてゆくならば、それこそが
感情を学ぶ途中の、未熟な人々が、心地よく
家族になれるのではないか、また、
そんな時代がもう始まりつつあるのでは、
と思っている。
お盆に、幸はユニコーン に乗って帰って
きた🌈 笑顔で😁
ベルもユニコーン に乗って帰ってきた。
明るい、太陽のエネルギーを持って。