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子育ては伏線回収である
第一子の成人式の朝早く。
近所の幼なじみが、急にピンポンならして「一緒に写真撮ろうぜ」とやってきたので、家の玄関の前で、スーツ姿の2人の写真を撮りました。
そういえば、小学校の入学式の朝も、その近所の幼なじみはランドセルしょってやってきて、家の玄関の前で2人一緒に写真を撮りました。
小学校の入学式の時は、まだ靴紐も自分で結べなかった2人が、今、ネクタイを自分で結んで「エッヘン」という顔をして玄関に立っている。
それを見て感じたのは、ついに伏線回収キター!
という感慨です。
ゲームのラストステージみたいな。
紆余曲折・艱難辛苦の結果「やっとここまできたか!」という。
子育てをゲームに例えると、最高に難易度の高い無理ゲーです。
そもそもゲームのファーストステージに至る前段階(妊娠・出産)の難易度がバカ高い。
その難易度のバカ高い妊娠・出産を乗り越えて、ようやくゲームのファーストステージに立てた!と思ったら、次は難易度がもっと高い「新生児育児」というものがいきなり始まる。
こっちはまだレベル1なのに。
いきなり敵は「睡眠妨害」「謎の発熱」「スプラッシュ嘔吐」など、こちらが予想もしていなかった攻撃を次々と繰り出してきて、その対応に心身共にくたびれ果ててしまう。
レベル1ではとうてい無理な相手にヘトヘトになりながら対応しているうちに、こっちもそれなりにレベルアップはしていくんだけど、ちょっと追いつかないんだよね。
レベル1のうちに強めのパーティーを組めればだいぶ楽なのだが。
こちらが敵に削られてヘトヘトな時に魔法でエネルギーを充填してくれたり、自分の替わりに敵と戦ってくれたり、テレポーテーションで敵を一時的に遠くに離してくれたり。
そういうことをしてくれる「仲間」がいないと、子育てという無理ゲーは詰む。
だが、そんな「仲間」はそうそういないのである。
無理ゲーの、無理ゲーたる所以ここにあり。
さて。
レベル1の「新生児育児」の戦いから始まり、様々な戦闘を経てレベルアップし、面の皮が相当厚くなったころ。
「あぁ。あの時のあの戦いは、この時のこのためだったんだな」
という伏線回収がいきなり始まりました。
子どもが成長して大人になり、大人として自分と対等にコミュニケーションするようになってはじめて。
成長過程の、あの時の、あの出来事が、ここに繋がっているのか! というような「答え」が出る、というかなんというか。
この感じ、子育てだけに特化した話ではないんですよね。
ワタシの場合、子育てだけじゃなくて、長きにわたるバンド活動にもあったし、仕事や家族関係においてもしかり。
ただ、人生において「伏線回収」をするタイミングって、いい時ばかりじゃない。
そのタイミングは「大病」であったり「誰かの死」であったりすることもあるし、大体は悪い時ほどそのタイミングが来る。
だけど、それまでずっと自分でも気づかないまま放置していた人生の「伏線」が回収された、と感じた時の
「そうか。過去のあの時の出来事は、未来のここに繋がっていたのか!」
という驚きと腑に落ち感。
自分が、過去にわけもわからず無我夢中でやってきたことの「答え」。
そういうものを感じた時の、爽快感? やってやったぜ感? は、ここまで生きててよかったな、と思うことの一つだな~、とつくづく思うこの頃。