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くたばれPTA
この「くたばれPTA」という章タイトルは、筒井康隆氏の小説『くたばれPTA』から頂きました。
この『くたばれPTA』という小説を読んだことがある方はあまり多くないと思うので、まずは、筒井康隆著『くたばれPTA』という小説の解説から始めます。
『くたばれPTA』が新潮社から発売されたのは1986年です。
1986年に6歳だった1980年生まれのヒャダインさんが、筒井康隆『くたばれPTA』についての書評を、毎日新聞のコラムに書いています。
2023年10月に書かれたヒャダインさんの「『くたばれPTA』の書評」の一部を引用いたします。
「(筒井康隆の小説について)「清廉潔白」を妙に忌み嫌う思春期ヤイヤイの私はすっかり夢中になった思い出があります。本書はショート・ショート24編が収録されているのですが、今読み直すと2023年の社会問題を予見的に描いていてゾッとしました。
表題の「くたばれPTA」は「悪書追放運動の婦人団体」がSF漫画家を追い詰め社会的に破滅させる、という内容なのですが昨今の行き過ぎたコンプライアンスからの表現縮小と同じですし、世間全体が社会的に誰かを破滅させるのはネットで炎上した人をトコトン追い詰める風潮と同じ。」
上記のヒャダインさんの「書評」はとても的確なものだと思いました。
1986年当時(から今に至るまで)、筒井康隆氏はとても「不謹慎」な人でした(過去形で言うと死んだみたいだからやめて、と家人からいちいち言われるのであえて過去形で言いますが筒井氏は死んでないです)。
当時のフェミニズム運動を徹底的に茶化し、「悪書追放運動の婦人団体」に対して「不謹慎」で抵抗することで、多くのファンの心をわしづかみにしていました。
この本の表紙イラストは山藤章二氏による「悪書追放運動の婦人団体」らしき女性のイラストです。
筒井氏の「不謹慎な表現」に対して異論を唱える「表現の自由を阻害する悪」として描かれているご婦人のイラストです。
ヒャダインさんは、書評の中で「表現の自由を阻害するもの」として「昨今の行き過ぎたコンプライアンス」という言葉を使っています。
ん? あれ?
この「行き過ぎたコンプライアンス」という言葉、どっかで聞いたような。
と、思ったら。ドラマ『不適切にもほどがある!』で語られる「コンプライアンス」のニュアンスによく似てるなぁと思いました。
今年、2024年1月から放映されているドラマ『不適切にもほどがある!』の舞台も『くたばれPTA』が発売されたまさに1986年。
1986年の昭和の時代からタイムスリップしたオッサンが令和の「コンプライアンス」に戸惑う話です。
あれを見ていて思うのは。
「不謹慎」と「不適切」は全く違ってるよなぁ、ということで。
筒井康隆氏の「不謹慎」は、作家にとっての死を意味する「断筆宣言」をするほどの「覚悟」があったのに、「不適切」にはその「覚悟」がないんだよなぁと。
「先ほど、不適切な発言がありましたことをお詫び申し上げます」
で、済ませてしまうような。
そこにはちっとも矜持を感じなくて。
とかなんとか、そんなことを書きたいんじゃないんですよワタシはそもそも。
「くたばれPTA」とは。
ワタシの第一子が小学校に入学して4月の保護者会に出た瞬間から、10数年に渡って、ずっとずっとずっと思ってきた恨みつらみを一言で表した言葉なんです。
くたヴぁってしまえ!! PTA!!!
という恨みつらみをここに思う存分書きなぐりますよええ。
(続く)