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ラランドの『お母さんヒス構文』について
ラランドのサーヤさんがフォーマットを生み出した「お母さんヒス構文」というネタがあります。
既に知っている人も多いかもしれませんが、いちおう大元の動画を貼っておきますね。
このネタは、「お母さんから子どもに投げつけられる攻撃的な言葉」を、「お母さんヒス構文」と定義づけ、笑いに昇華し、後でジワジワとその鋭い批評性に震えるネタです。
最初の定義からしてすごい。
「お母さんヒス構文」とは。
お母さんが、論理を飛躍させたり論点をすり替えながら、ヒステリックな語気を伴う言葉を発することで、子どもに「罪悪感」を抱かせる構文。
もうこの説明を聞いただけで、今まで「お母さん」から言われてきた数々のキッツい言葉が、脳裏にありありと蘇ってしまう人は沢山いると思います。
ワタシもその一人なので、すごくよくわかります。
このネタで扱っているのは、とてもセンシティヴな「家庭内で起こるキレたお母さんの言動」なのですが、「お母さんヒス」という軽い感じのネーミングから想像する以上に、ハラスメント、とか、虐待、とかに極めて近い、かなりキッツい感じの言葉がマシンガンのように放たれます。
聞いてるといろいろ思い出してめちゃくちゃ辛くなるのですが、サーヤさんが豪速球で繰り出す「お母さんヒス構文」攻撃をことごとく受け止める相方のニシダさんがすごい。
ニシダさんのおかげで尖りすぎる「批評性」が中和されてしっかり「笑い」として成立している。
こういうコンビのバランスっていいよなー、と羨ましくなりました。
この「お母さんヒス構文」。
ワタシは実母からさんざん言われてきたなじみのある「構文」なんですが、ワタシも自分が「お母さん」になってから何回か使ったことがあります。
「お母さんはあなたの奴隷じゃないから」
これは何回か子どもに言ったことがあります。
中学生になっても、運動靴を洗えとか、弁当箱を洗えとか、あれこれをやっておいてくれと言われた時に。
ラランドサーヤさんは、そこにかぶせて
「ワタシを家事ロボットか何かだと思ってるんでしょ? ルンバと大差ないよね。定位置に戻ろうかな、背中からスッて」
とぶっこんでくるんですよ。
これにはメチャクチャ笑いました。
これ言っちゃいそうだわ~と思って。
この「お母さんヒス構文」は、言われた子どもが「被害者」であるという立ち位置ではないところがすごいんですよね。そこにこそ「批評性」がある。
子どもの立場から見れば「お母さん」というのは「家庭内の絶対的権威」であり、その「家庭内の絶対的権威」からヒステリックでキッツい言葉を投げつけられるのは本当に辛いこと。
ワタシも本当に辛かった。キッツい思いも何度も何度もしました。
しかし、自分が「お母さん」になってみて、はじめてわかったのは、「お母さん」というのは「家庭内の絶対的権威」なんかではない、ということです。
家庭内で絶対的権威を持っているのは「家計を支える人間」です。
家庭という組織を支えるお金を稼いでくる人間です。
家庭という「社会で最小の組織」を支える為には、圧倒的にお金が必要です。
子どもを大学に進学させようと思うならば尚更。
そんな「家計という経済」を支える人間こそが、絶対的な権威と権限を持っています。
経済を支える人間が、経済を支えていない配偶者であったり子であったりする存在に対して、自らの権威を主張して優位に立とうとしたり支配しようとしたりすることを「モラハラ」と言ったりします。
「誰が食わせていると思ってるんだ」
とか昭和の台詞でしょ? と思っている人もいるかもしれません。
いやいや。令和のこの世にもしょっちゅう聞く話です。
「お母さんヒス構文」の例文の中に、何度も何度も出てくる言葉。
「誰がお金出してると思ってるの?」
この言葉は、お母さんが子どもに発している言葉です。
だけど、お母さんにとっては、「夫から言われている言葉をそのまま子どもに投げている言葉」なのだろうな、と思えるんですよね。そういう背景が感じられるというか。
そういう意味でラランドサーヤさんは、相当考えて、練りに練ってあのネタを作っているのだなと思うし、だからこそあのネタの完成度が高いんだなぁと、つくづく。