夫婦の姓は「お気持ち」である
2024年6月のニュースです。
★岸田首相が選択的夫婦別姓なお慎重 「家族の一体感に関わる」。
https://nordot.app/1175385807015363217?c=39550187727945729
上記のニュースは、我が国首相が「夫婦別姓」に慎重である。というニュースです。
岸田首相が、何故、「選択的夫婦別姓」に慎重なのかというと「家族の一体感」がなくなる。という理由らしいです。
ほほう。
「ゆるふわ」というのは、こういうことを言うのかもな。
「家族の一体感」って何?
ふわっとし過ぎてて、ようわからん。
「家族の一体感」とは。
ひろゆき風に言うならば。
「それって「お気持ち」でしかないですよね?」
です。
ワタシは3人も子どもを産んでしまった、今の世ではマイノリティ中のマイノリティである希少な立場の人間なのですが、「家族の一体感」など、一切感じたことがないです。
「家族の一体感」って何?
気色悪っ!
としか思えない。
岸田さん、家族が「一体」だったら息子がしでかしたアレコレ、アナタに降りかかってマズいんじゃないの? そんなこと言っちゃって大丈夫? としか思えない。
「家族の一体感」とかなんとか。
そんな「連帯責任」みたいなこと言われてもねぇ
さて。
実の親が「毒々モンスター」だった自分にとって、「家族」とは、自分を閉じ込める「牢獄」でしかなかったワタクシ(詳しいところはChap34~36で書いていますけどべつに読まなくていいです)。
結婚という制度を利用して、「毒々モンスター」である実の親の「姓」を変更できたのは、自分にとっての「福音」でありました。本当にイヤだった。自分の毒親の「姓」を名乗ることが。
夫婦別姓のあれこれを考えるたびに思うのは、「姓」を名乗るのは「自分」を名乗ることなんだよなということで。
戦国武将が、戦の時に「我は何々でござる」という「名乗りをあげる」みたいなもんで。
ワタシは、自分の「旧姓」を名乗っていたころは、「旧姓」時代の毒親から受けたアレコレのトラウマが常に影のように寄り添っていた。
でも入籍して夫の姓に変わった時、「もうワタシはあの「家」から離れることができたんだぁぁぁ!」
という、喜びがハンパなかったんですよね。
実家が地獄だった人にとって、「姓」が変わる、「名乗り」が変わる、ってのは、「救済」なんです。
人はそれぞれいろんな事情がありますよ。
ワタシにとっては、「姓」を変えることが、「人生」を180度変えるぐらいの事だったんですが、それは「好きな人とケッコンして幸せ~」みたいな理由では全くなくて。
「実家」という「地獄」から救ってくれて、戸籍を変えてくれた配偶者とその両親には感謝するしかない、という理由なんです。
そこに、「一体感」は一切合切関係ないんです。
自分にとって、「結婚」「入籍」「改姓」という一連のあれこれは、「亡命」に近いものです。
地獄の「実家の家族」から「亡命」した。
というのが、自分の結婚だったのかもしれないと。
そういう人もいます。
ワタシがそういう人です。
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