感謝の気持ちと1人では生きられないこと
昨日は3年ぶりにイベントを開催した。
年輩の皆さまが
子どもたちに昔遊びを教えてくれる。
けん玉、ベーゴマ、射的、ぼんぼん…
様々なコーナーが並ぶ。
今年は、ほとんどが親子の参加だった。
3年で世の中は大きく変わったと感じる。
6年前は子どもだけで
2〜300人集まる大きなイベントだった。
その時、受付にいた元部会長は
今はもういない。
6年経って今。
わたしが指揮をとって
このイベントを開催している。
久しぶりのイベントに
ボランティアの方たちも
とても喜んでくれた。
「一年後と言わずまた開催してよ。」
「今日初めて来たけど、来てよかった。」
学生ボランティアも来てくれた。
「またあったらぜひ参加したい。」
何人もの学生が言ってくれた。
イベントが終わって帰る時
わざわざ目の前まで来て
「楽しかったです。」と
言ってくれたお母さんがいた。
とても嬉しかった!
ボランティアに来た人
みんな「よかった!」と言ってくれた。
手伝ってくれた施設の職員さんが
「忘れてるものがないか気になって
昨日はあまり眠れなかったんです。」
と言っているのを聞いた。
当たり前に用意されている
と思っていた備品が
1人の細やかな準備で
成り立っていることを知る。
紙ゴマのパーツを150個作ってくれた人
射的の材料を用意してくれた人
みんながこのイベントのために
様々な用意をして今日に臨んでくれた。
以前は
何にも考えないで
ブースを一つ担当してたけど
こうやって改めて
再開させてみると
との思いが湧いた。
1人で成り立たないとは
ということと同義だ。
みんながいたからこそと思うと
と感謝の気持ちが心の中に広がってくる。
こんな思いをしたことがあったろうか。
いつも1人で生きているつもりになって
と心に決めていたわたしが
こうして
手を貸してくれた人たちのことを思い
感謝の気持ちで心がいっぱいになっている。
この言葉を読むたびに
実感が伴わなくて
他人事のように
ずっと思っていたけど…
うつ病を経て
今、ここにいるわたしは
前は感じなかった想いを胸に
目の前にいる皆さんを見ている。
こう思えるようになった自分。
生まれ変わったのか
違う人間になったのか。
うつ病のおかげなのか。
コロナが何か作用しているのか。
何が理由かわからないけど
幸せに包まれていた昨日の午後。
この気持ちを
忘れないようにしたい。
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