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バイクツーリング 〜静岡 富士山〜 その20 ツーリングを終えて



2021年10/28〜12/19まで書いていた
富士山ツーリング。


本当に行った日は10/4。


実際に行った日にちと
noteに記事を投稿した日を
書き出してみる。


10/4  富士山ツーリング

9/24〜10/22   箱根ツーリングの記事投稿

10/24  これから書く次のツーリング

10/28〜12/19   富士山ツーリングの記事投稿



富士山の前に行った
箱根の話を書き終えたのが10/22。

富士山の次に
行ったツーリングが10/24。


この頃、noteのツーリング記事が
実際のツーリングに追いつかなくて
だんだん頭の中が混乱していた。



でも、この後
事故の再手術で
バイクにまた乗れなくなるから。


その間に
記事を書こうと思っていた。



そして、やっと先月
富士山ツーリングを書き終えた。

実際に行った日から
2ヶ月が経とうとしていた。



いつも
ツーリングに行ってすぐ
感想のnoteを書くのに…

色々探してみたけど
やっぱり書いてない。


なぜ
富士山ツーリングの後
感想の記事を書かなかったのかな?



2ヶ月経って、今思うと

その時は
自分の気持ちがよくわからなかった。

だから、書けなかったんだと思う。





帰ってきてすぐの気持ち。


大満足!!

帰り、満ち足りた気分で
高速を走っていた。


足柄サービスエリアで
ガソリンを入れようと思ったのは
富士山に逢うためだったんだ。


東名の大好きなポイントで
富士山がちょうど
桜色に染まっていたのは
偶然なんかじゃない。


朝から
ずっと追いかけていた
富士山の姿を思い浮かべる。


朝、出かける時は見えなくて
東名を走っている間も
見えなかったこと

高速の
富士山が雄大に見えるポイントで見えなくて

諦めて山間部を走っていたら
御殿場で
気づくと、雲が取れて真横にいたこと

富士山に近づいて走ってる間は
ずっと見えていたのに
太郎坊に着いたら雲の中だったこと

1時間色々あって
太郎坊にいるうちに
顔を出してくれたこと

次の五合目に着いたら
青空の中に赤茶色の富士山がいて
眼下に、雲が海のように広がっていたこと

下って水ヶ塚パーキングでは
また雲に覆われていたこと

御殿場のススキ野原では
雲が取れていて悠然といたこと

その後またずっと
白糸スピードランドまで行っても
雲から顔を出さなかったこと

「もう見えない。」と諦めたら
御殿場のススキ野原で
また顔をのぞかせてくれたこと

それだけでも充分だったのに
足柄サービスエリアで
遠くから見ていてくれたこと

そして
帰りの高速で桜色に染まりながら
さよならを言いに来てくれたこと


見えたり隠れたり
願ったり諦めたり


でも、最後に
紅い富士山が見えたから

だから
これからもバイクに乗る勇気が出た。


手術がんばろう。
リハビリもがんばろう。

治して、また乗ろう。

そう思った。



春になったら
必ず、富士山に逢いに行く。

その頃には
通行止めも解除されているだろうか。


知らなかったけど
夏はマイカー規制で
五合目にはバイクで行けなかったらしい。

水ヶ塚パーキングに停めて
シャトルバスで五合目に上がる。

10月まで待ったから
自分のバイクで五合目まで
上がれたんだ!


今は冬期通行止め。
春まで誰も近づくことはできない。

色んなラッキーが
重なっていたと思う。




感想に書けなかった気持ち。

走っていた時、大半を占めていた
"寂しい"という気持ち。


その気持ちについては

ツーリングから
少し日が経ってから

noteで記事に起こしたから
気づけた想いもあった。


その時は理由がわからないまま
周りの色彩が消えて

水墨画のようなモノクロの世界で

沸き起こる気持ちを
消し去ってしまうかのように
ただただ走り続けていた。



あの"寂しい"という気持ち。


あの気持ちには
いくつかの理由があって

思いつくものは
noteに書いてみたけど

今でも上手く言葉にできない想いもある。


でも、その後

次のツーリングに行き
違う気持ちを感じたこと

もう一回
手術前、最後のツーリングに行けたこと


二つのツーリングの思い出が

わたしの"寂しい"気持ちを
消すという形ではなく

包み込むような形で
今は寄り添ってくれている気がする。



箱根ツーリングとは対照的だった
色彩の消えた富士山ツーリング。

毎年、思い出していた御殿場のススキ野原。
そこにもう一度行きたい!という願い。


そのツーリングを
富士山に見守られながら
終えられたことで

わたしは
救われたんだと思う。



箱根から
富士山にかけて走った

数少ない
マスツーリングの記憶。
(マスツーリング=複数で走るツーリング)


画像1


この地図は、わたしが書いたもの。


前にも書いたけど
わたしがルートを決めて

みんなに伝えるために
がんばって書いたもの。

今回、ここを走った。


これは
前回、箱根で走った道とつながっている。


もう一度、その時の地図を載せる。

画像2



この左上の川島田が
上の地図、右中の川島田につながる。



当時、知っていた
わたしの好きな道(全部くねくね道)を
全部つなげて

「どうだぁ!!」って
自慢しているかのようなルート設定。笑


当時も好きだったから
このルートを設定したんだし

今も
思い出すのはこの道たち。


だから、走りたかった。
もう一度。

バイクで。
バイクと一緒に。


その夢が叶ったから…

だから
寂しくなってしまったんだと思う。



あと一つ知っている
好きな道。

これから書こうとしている
その道を走ってしまったら

これから
どこを走ったらいいのか。


走りたい道はあるのか。
見つけることはできるのか。



行きたい場所があるわけじゃない。


走りたい道があるか。
ただ、それだけなんだ。




走りたい道が
なくなっていく。


新しい道に
行く気がしない。

新しい道は
事故が怖くて
走る勇気が湧かない。


この頃は
そんな不安が強くて

行ける先がなくなる寂しさを
かき消すことができなかった。


事故の再手術を控えていて
不安が募っていたのもあると思う。


また、乗れるのか?

走ると出遭うかもしれない事故に
向き合う覚悟ができるのか?

周りの理解が得られるのか?

走りたい!って気持ちがまた湧くのか?


時間の経った今なら
みんな杞憂に過ぎなかったよねって
笑って言えるけど…



ここまで
気持ちの整理がついたから書ける。

今、これを書けているのは
色々乗り越えたからこそなんだと思う。



術後の経過は良好だ。

行きたい場所もいくつもできた。

事故は怖い。
けど、向き合うしかないと
思える自分がいる。

義理の両親や義兄に
バイクにまた乗っていることを話せた。

家族にツーリング先の話が
できるようになった。



そういう今がある。
あるからきっと大丈夫。


この先も乗っていける。

だから・・・
もう少し待っててね。

わたしのバイク。
わたしの相棒。




走ることの意味
ひとりで走るということ


そのことを
これからも考えていきたい。




次は、どこに行くのかな?


また書き始めようと思う。
次のツーリングも、どうぞお楽しみに。




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