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乙一「箱庭図書館」より『青春絶縁体』読書エッセイ

8年前の大晦日。
その日の日記の末尾にはこう記されてあった。

『いい物語だな。』

私は昔から自分の日記に読んだ本の感想を長々と書く癖がある。
そんな私がたった一言の感想しか書いていないのだから気にするな、というほうが無理な話だろう。

当時は特に悩みが多い時期だった。
その頃の私は小説の感想に対して辛口で「面白い」などという単調な表現を使うことを忌み嫌っていた。

そうやって肩肘張って生きていた過去の私が、たった一言『いい物語だな』と書き残してあったのだ。

本書の内容をすっかり忘れていた私は20代前半の自分のありふれた感想に誘われて、書店に直行してしまった。

イエローの表紙を迷わず手に取り、俊足でレジに持って行ったのは言うまでもない。

あらすじ


高校に入学したばかりの根暗な主人公・山里は文芸部入部初日、一学年上の先輩・小山雨季子に出会う。美人な雨季子に舞い上がる山里だが、口の悪い彼女につられ部活のたびに罵詈雑言を浴びせあう仲に。山里は従来、人見知りが激しく教室では異性はおろか同性の生徒とまともに話すことすらままならなかった。だが雨季子とは不思議とありのままの自分で会話することができたのだ。そして二人は部活の時間、遊び半分で小説を書くようになる。そんなある日、山里は部活外での雨季子の姿を目撃してしまい——。



心に響いた言葉

他人に壁をつくらないのは、攻め込まれ、被害を受けた歴史がないからではないのか。
僕はちがう。
人の悪意というものをしっている。
そのくせ、青春というものにあこがれをもっていた。
入学当初、友だちをつくって、こんな自分を変えなくてはならないとおもっていた。

P86

僕の書いた文章を読み終わってもページをやぶろうとしなかった。机にノートをおいたまま、銀縁眼鏡を顔からはずし、眼鏡ふきでレンズをみがきはじめた。先輩は身長もあり、手足も長く、目元がきりっとして、高校生にしては大人びた雰囲気の人だ。その日、眼鏡をはずして、ふせられた先輩の目は、どこかさびしそうだった。
「クソつまらなかったよ」
先輩はそう言うと放り投げるみたいにノートを僕にもどした。

P94

「あの、ちょっと、もう限界です。別の場所で話しましょう!」

P121

「わ、私は、見られたくなかった」
足早に廊下を通りながら、涙声で先輩が言った。
「教室に、いるときの、みっともない自分を、あんたにだけは、見られたくなかったんだ」

P122

感想

本書を読んだ感想が、8年前の日記に乱雑な字で書かれていた。

過去の日記を読み返すのは気恥ずかしくて苦手だ。
それでも年に数度、過去の日記をめくってしまうのだから少し苦笑してしまう。

当時、悩みの渦中にいた私は何か答えはないのか、と大量の小説を貪り読んでいた。

現在はあの頃より穏やかに、小さな幸せに包まれて暮らしを営んでいるというのに、読書に対する姿勢は相変わらず昔のままなのだから本質的な自分というものは変わってなどいないのだろう。

とはいえ、8年前に比べるとずいぶん要領よくタフに生きられるようになったなぁ、とも感じてはいるのだが。

私はこの物語を読んだこと自体忘れていた。内容など1ミリも覚えていなかった。
それなのに、少し古ぼけた日記の最後に書き殴ったように記されていた

『いい物語だな』

との言葉にどうしようもなく惹きつけられてしまい、本屋に走らずにはいられなかった。

勝手知ったる行きつけの書店。
珍しくドキドキしながら集英社文庫の棚に即座に向かった。

家に帰るまで我慢できずに近所の喫茶店に飛び込んだ。
店内の1番隅のお気に入りの席で、いそいそとページをめくり始めた私の姿は8年前どころか小学生のころと全くもって同じだったに違いない。

僕たちはおなじようないびつさをもっていた。教室にいるとき、大勢のなかで委縮してしまい、話しかけられてもうまく言葉が発せられず、つっかえてしまい、顔が赤くなり、わらわれて涙目になり、自分はどうしてこんなに馬鹿なんだろうかと、自分はどうしてこんなにだめなんだろうかと、すっかり自信をなくしてしまう。でも部室にいるときはちがう。先輩は自信満々で僕を小馬鹿にするし、僕だって先輩にひどいことを言える。教室で友だちを前にしているときには出てこない語彙がすらすらと口から出てくる。

P97

正直な感想を言うと高校生の二人はあまりにも青臭く、私はその純朴な心の白さに眼がくらんでしまった。
全身がむずがゆくなりそうなほどの青い春に私のほうが羞恥心を掻き立てられてしまい、人がいるのも構わず大声で叫びたくなった。(そこは社会人らしく空気を読んで我慢したが)

だが、10代の彼らが悩みつつも自分のいる場所から逃げずに全力投球で生きる様に、何か大切なことをそっと耳元でささやかれた気がしたのもまた事実なのである。

『青春絶縁体』はこんな人におすすめ!

・青春時代をやり直したい方


青春時代に未練がある方は、ぜひ手に取っていただきたい。
きらきらと美しい情景だけが青春ではありません。無様にがむしゃらに走り去ることも、何もせずにぼーっとすることですら「青春」なのだと高校生の二人が教えてくれるでしょう。

・「エモい」を感じたい方


Z世代の方はもちろん、アラサーの「エモい」の使い方がいまいちわからない方も黄色の表紙を手に取りましょう。
これぞ「エモい」物語!
身に覚えのある、全身がむずがゆくなるような感覚を思い出してしまうに違いありません。

・ピュアな初恋を感じたい方


誰しもが経験したであろう「初恋」
かっこ悪いけれど美しい10代の二人に、自分の今いる場所で生きること人を想うことの切なさを、ひらがな多めの拙い文体からも感じ取ってみてください。

おわりに

教室にいるときの自分。部室での自分。どちらかが偽物というわけではない。どちらも僕であり、先輩だ。おなじ存在の別の側面というだけのことだ。部室にいるときの傲慢な先輩は、そういうキャラクターを自分で設定し、演じているというわけではないのだと思う。普段はクラスメイトに見せない側面が部室にいるときは不思議と相手に見せられる。僕たちはそれまで通りの距離感のまま部室で話をする。

P99

大人になった今でも、職場での自分、友人の前での自分、一人でいるときの自分の顔がそれぞれ微妙に異なっていることを自覚している。

以前は自分でもどれが本当の自身なのか理解できずにいた。

でも今ならわかる。
私が持っている様々な顔は全て私自身なのだ。

人は数々の性格や感情のパーツを持っている。
相手によって見せ方が違うだけだ。

そして、それはきっと悪いことではない。
「女は女優」という言葉もあるくらいなのだから。(もちろん性別に関わった話でもないが)

素の自分を見せられる誰かが一人でもいるならば、安心してそのコミュニティに見合った自分を演じられるのだと私は思う。

演じ続けると自分の本心を見失ってしまうからこそ、本音を言える誰かがあなたにもいることを願わずにはいられない。

昔読んだ物語を再読すると、当時は気が付かなかった新たな感動が胸を貫くことがある。

そして過去の自分と一瞬だけ、再会したような。
そんな懐かしい気持ちにもなってしまうのだ。

今の時代に小説を読む意味などないのかもしれない。
だが、私は下手な自己啓発本よりも小説のそここに散らばった言葉に助けられてきた人生だった。

私は水を飲むのと同じように、小説を読まずにはいられなくなってしまったのだろう。

『青春絶縁体』


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