見出し画像

『最後の1つ』戦争

 トイレに入って用を足した後いざ拭こうと手を伸ばしたら、ペーパーホルダーについていたのはトイレットペーパーの芯だけだった時。ご飯を食べた後に口を拭こうと思ってBOXティシュに手を伸ばしたら、箱の中にティッシュが1枚も入っていなかった時。職場の休憩室のテーブルの上に置いてある旅行土産、もはやお土産は一つも残っていないのに「週末に熱海に行ってきました。少しですが、皆さんで召し上がってください」というメモだけが書いてあるお菓子の空の箱を見つけた時。

 とてつもなくイラっとするのは私だけですか?最後の一巻きを使い切った奴、最後の一枚を取った奴、最後の1つを食べた奴は誰だ?!なぜトイレットペーパーの芯を捨てなかった?なぜBOXティシュの箱を捨てなかった?なぜ空箱を捨てなかった?どういう神経してるんだ?まったく理解できない!私だったらトイレットペーパーの芯を取り外して、平らになるように潰して、捨てて、新しいペーパーを取り付けて、なんならペーパーの端っこの軽く糊付けされてるところも丁寧にはがして三角に折るよ。BOXティシュも、箱を平らにたたんで、リサイクルマークがついてたら資源ごみに出すし、新しいものの最初の一枚を外に少し出しておくところまでやる。お菓子の箱も同様。上側の箱も下側の箱も中側に織り込まれてる部分を丁寧に崩して、ちゃんと平らにして、こっちもリサイクルだったら資源ごみ、そうじゃなければ小さくたたんで燃えるごみに出せるようにしますよ。それをさ、なんで最後の一巻きを使っていない私が、最後の一枚を使っていない私が、なんなら少なすぎて、もしくは誰かが一つ以上食べて、結局一つも食べられなかったお菓子の空箱を、なんで、どうして私が捨てなければならないのか?

 だが、私も人だ。トイレットペーパーの最後の一巻を使った人の気持ちは、わからなくもない。なぜなら気づいていない可能性があるからだ。あの最後ちょっとだけ紙が残ってるパターンのやつだ。自分は最低限使う分だけ出して、切って、使って、流して、何も気づかず出ていく。次に使う人は、最後の一巻きもない、引っ張ったら10cmくらいだけ出てきて、カランとなって終わるケースだ。誰もが一度や二度は経験したことがあるだろう。BOXティッシュも百歩譲って気づいていない可能性が考えられる。最後の方になって、中のティッシュがついてきてくれないケースだ。引っ張って取り出して、まだ中にあるのに、この子がついてきてくれなかったパターンのあれだ。これも経験したことがある人がいるのではないか。だから、最後の一枚を使った人が、まだあるだろうと思うケースだ。だが、これに関しては、次の一枚が出てこなかった時点で「あれ?なくなった?」と思ってほしいところではある。

 けれど、お菓子の空箱に関しては納得がいかない!大抵の場合、職場に置かれているお土産のお菓子の箱は、蓋の役割をしている上側の箱は、お菓子が入っている下側の箱に重ねられて、中のお菓子が見える状態で置いてあることが多い。仮に、上の箱がちゃんと蓋の役割をしていて、中身が確認できない状態だったとしても、最後の一つを手に取った奴は、それが最後の一つだと気付かないわけがない。それなのに、その空箱を処分しなかったとしたら、それはもう確信犯以外の何者でもない。もしもお土産を買ってきてくれた人が、付箋やメモではなく、上側の箱の表や裏に直接メッセージを書いている場合、捨てづらい気持ちになるのはわかる。だが、お菓子がなくなったその箱をいつまでそこに置いておくのだ?新しく旅行のお土産や差し入れが持ってこられた場合、またそれも残しておくのか?少し考えればわかるだろう。職場の休憩室のテーブルの上がメッセージ付きの空箱でいっぱいになってしまう。捨てづらいなら、メッセージの部分だけ切り取って、邪魔にならない場所で保管するか、家に持って帰ればいい。

 結局、何が言いたいかというと、想像力の欠如だ。次に使う人がいるということ、次に使う人がどんな気持ちになるかということ、本編に関わっていないのに急に事後処理だけに関わらざるをえなくなった人が出てくるかもしれないということ。その少しの想像力も持ち合わせていないのか、それを想像してみる少しの時間の余裕もないのか、という悲しさ。InstagramやTikTok、YouTubeなど様々な動画コンテンツがあり、サブスクで映画やドラマ、アニメなども見放題の今、原作の書籍や漫画、雑誌や新聞の記事など活字に触れる機会が減ってきたからではないか。文字情報から情景を思い浮かべる、人物像を考えてみる、その人のバックグラウンドを想像してみるというようなことをする人が減っているように感じる。
 一つの事象から、先のことを想像したり、推測したりする力は、学生生活においても社会に出て働くようになってからも、誰かと関わる上で必要不可欠な力だと私は考える。「これを言ったら相手はどう感じるだろう?」「これをしておかなかったら仕事の効率はどうなるだろう?」と危機回避をすることも大切だし、逆に「この言い方にした方が相手に伝わりやすいのではないか?」「これをしておけば、みんながスムーズに仕事を進めることができるのではないか?」とポジティブに考える力も、自分のストレスを軽減するために大切だ。
 だから、最後の一つに当たった時は、むしろラッキーだと思うようにしたらどうか?その先の未来を想像する機会を与えられたのと同時に、私は、次の誰かのために良いことをした、「徳を積んだ」と自己満足を満たすよう心がけている。

 まあ、出くわしたら一旦はイラっとするんですけどね(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?