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体温は36.3度だけど、熱量は39度超えの『こんなところに居たのかやっと見つけたよ』ライナーノーツ

※メンバーのお名前は全て敬称略とさせていただきます。ご了承ください。

 2024年11月16日、Kアリーナでのライブの余韻からずっと抜け出せずにいる。ドラムの小泉拓がXで投稿していたように、「最新が最高」だった。そして、12月3日、発売日より1日早く、待ちに待ったニューアルバム『こんなところに居たのかやっと見つけたよ』を手にすることができた。
 初回限定盤のCD・Blu-rayのパッケージが、予想を遥かに超えて素晴らしかった。艶やかな質感の黄色いパッケージにモノトーンで描かれたメンバーの似顔絵。短編映画『変な声』とそのパンフレットももちろん素敵だったのだが、歌詞ブックレットを開いた時の感動は、前作『夜にしがみついて、朝で溶かして』を手にした時のそれを軽々と越えてきた。『もくじ』と書かれた歌詞カードを手にしたのは初めてで、もくじを見ただけで、「あぁ、これから15篇の物語に出会えるのだなぁ」とわくわくした。

01.  ままごと

イントロなし、尾崎世界観特有の高音の「こ」から始まるところが、「これこれ!これぞクリープハイプ!」と思わせてくれた。ちょうど10年前の2014年12月に発売された3rdアルバム『一つになれないなら、せめて二つだけでいよう』の1曲目、イントロなしの「こ」から始まる『2LDK』を彷彿させた。2021年12月に発売された6thアルバム『夜にしがみついて、朝で溶かして』の1曲目『料理』とも重なる。全て12月に発売されているアルバムで、どれも1曲目なのは偶然か? リリース順は『2LDK』→『料理』→『ままごと』なのだが、時の流れは『ままごと』→『料理』→『2LDK』の順になっているような感じがして面白い。尾崎世界観が、ラジオ〈NIGHTDIVER〉で、自分が食べたい料理と人に食べさせる料理を交互に作っているような感じで「ファーストアルバムから(それを)交互に繰り返していて」と言っていた。ラジオ〈サシデガタリ〉でも、「新しい事をやって次で戻っての繰り返し」と言っていた。そんな風に新しい試みをすることとシンプルにクリープハイプをすることがミルフィーユのように積み重なって、今のクリープハイプが出来上がっている感じがする(ミルクレープならぬミルクリープだ)。それもあってか、『ままごと』は、既視感ならぬ既聴感を感じた。聴き馴染みがあるように感じるのにしっかり新曲で、新曲なのにちゃんとクリープハイプだから、1曲目の第一声からがっつり心を鷲掴みにされた。高音でポップなサウンドが、私をニューアルバムの世界にすっと引き込んでくれた。

02.  人と人と人と人

FM802をはじめラジオで何度も聴いていた曲を、やっとCDで聴けたという喜びがあった。歌詞ブックレットを開き、『雨も風も雪も晴れも/どんな色の空ニモマケズ』『暑い寒いぬるい涼しい/どんな音の雨ニモマケズ』という文字で見て、衝撃を受けた。「宮沢賢治」ではないか! どうして今まで気づかなかったのか? やはり音の方が強いのだろう。歌詞を覚えるくらいラジオで聴いていたはずなのに、その曲にまだ新しい発見があった。尾崎世界観という男はどこまでも拘って文章を書いているのだな、と怖ろしくなった。そして、タイトルは人が4回も出てくるのに、まだ出会っていなくて、みんな1人で、寂しいから気づける気持ちがあるところが、すごくクリープハイプだと思う。でも、最後の「架かる桜の橋」という歌詞に、だから人と出会いたい、出会う可能性があるという希望を感じ、この曲に救われる人がたくさん出てくるだろうことが想像できた。「面白くない」「不満」「気に入らない」「不安」などの気持ちの中に、一縷の望みがあることで、暖かい気持ちで曲を聴き終えることができた。

03.  青梅

軽快な音とリズムで始まる『青梅』は、イントロを聴くだけで体を揺らしたくなる。春先から真夏にかけて行われる音楽フェスにぴったりな1曲だ。「青いうめぼし」から「赤いうめぼし」になるまでの時と恋の経過を思い描けるのが良い。時を止めたくなるくらいの大恋愛なのか、それともひと夏の恋だとわかっているから止めたいのか、いろいろ想像を膨らませることができ、まさに物語を読んでいるようだ。いつもは気怠そうに授業を受けているクラスの男子の体育祭での雄姿にドキッとしたり、気になる人に夏祭りや花火大会に誘ってほしくて(もしくは誘いたくて)、その人の視界をうろうろしたり、青と赤のうめぼしが、そんな甘酸っぱい記憶を思い出させてくれる。これから起こるかもしれない出来事に胸を高鳴らせたり、昔の経験を思い出して懐かしくなったりする1曲だ。是非、春夏フェスのセットリストの定番にランクインして欲しい。

04.  生レバ

Kアリーナで初めて聴いた時の衝撃が凄まじい! 聴いた瞬間からかっこ良すぎて、棒立ちで尾崎世界観に釘付けになった。そして、Kアリーナで初めて聴いたはずなのに、翌日までちゃんと耳に残っていた。サビの歌詞が聴き取れなかったから、ダリラリラリラリ…という音と共にメロディーだけが鮮明に記憶されたのだろう(正直、Kアリーナでは「生レバ食べたい」と「タラレバ」以外の歌詞はほぼ聴き取れていなかった)。生レバなのに炎の特効も印象的で、有り難いことに前から3列目の席を用意して頂いた私は、熱さまで伝わった。様々な相乗効果もあり、鮮明に記憶に残ったのかもしれない。「いただきます」から始まり、ベース、ギター、ドラムと徐々に音が重ねられていくイントロがかっこ良すぎて、何度聴いてもニヤニヤしてしまう。なんならイントロだけでもずっと聴けそうだ。イントロ以外にも、サビに入る直前の音や間奏など、とにかく楽器の音がかっこ良くて、歌詞に深い意味がなくても音だけで聴ける曲だ。「歌詞が良い」を見事にぶっ壊してきた。歌詞に意味を持たせない、サビに歌詞をつけないという離れ業を仕掛けてきた尾崎世界観の、これまで積み重ねてきたことへの自信を感じたし、サビに歌詞がなくても成り立つ音楽になるというメンバーへの信頼や、聴いてくれるファンへの信頼を感じた。そして、一度聴いただけで、ファンはみんな『生レバ』の虜になった。ライブでバチバチに盛り上がる曲を作ってくれてありがとう! という感謝しかない。そして、『生レバ』のMVを見たファンたちは、夕飯の献立にニラレバを追加し、定食屋に行ったらニラレバ定食を注文するだろう(もちろんご飯は大盛りで)。そして、いつか焼肉店で生レバを食べることを夢見て、見事食べることができたら、忘れずにこう言うだろう。「ごちそうさまでした」

05.  I

パチパチという音から始まるところが、なんだかエモい(語彙力不足で、この言葉に頼ることをお許しください)。イントロだけでなくサビ前と曲終わりにも入るこのパチパチ音。恥ずかしながら未だにこのパチパチ音が何を意味するのかつかめていない自分はファン失格だろうか? ただ焚火をしているような音にも聞こえるし、報われない恋心を燃やしている音を表したり、痛みの比喩として使われているのだろうか? 正解はわからない。ずっと考えていられることが幸せで……なんて言い訳してみる。でも、『I』の物語のように、マイノリティーに寄り添ってくれる曲だからこそ、解釈の仕方は人それぞれ多様で良いと思わせてくれるし、「わからない、けど好き」という感覚を受け入れてもらえる気がする。今の私は、結婚して、隣に夫がいることが当たり前になったけれど、『I』を聴くと、学生時代、片想いをしていた頃、きっとあの人は私のことなんてこれっぽっちも恋愛対象として見ていないんだろうな、でも、それでも、「1秒でいいから」という気持ちを思い出す。尾崎世界観の切ない歌声と、情景描写のないシンプルな歌詞が、多くの人に刺さる1曲だと思う。

06.  インタビュー

序盤にアップテンポの曲が続いて、中盤少し疲れてきたかな? というタイミングで、ゆったりとしたテンポで始まる曲を入れてくるあたりが「最高です」。もちろん単体で聴いても、心地よい音と声で、ずっと聴いていたい。インタビューを受けている自分を俯瞰している。違和感。不特定多数のみんなの前では、みんなにとっての「いつも通りの自分」。だけど、みんな、君にだけはわかってほしいという「君」がいる。『傷つける』の「愛しのブス」と重なる。汗とか涙とか感動とか熱狂とか、耳当たりの良い言葉は世の中に溢れていて、そんな言葉たちをうっかり使って、凄い自分を演出しようとしたり、何者にもなれない自分を隠そうとしたりする。でも、本当の自分は凄い奴なんかじゃなくて、ダサかったり弱かったりする本当の自分はいつも心の奥の方にいる。本当の気持ちはいつも一つだけではなくて、楽しいけど苦しくて、嬉しいけど不安で、好きだから憎くなったり、諦めきれずまた信じてみたり、常にいろんな感情がぐちゃぐちゃに絡まっている。自分でも自分の本当の気持ちがわからない。でも、人に話すことでその何かが何かわかる時があるから、訊いてくれる人がいて、聞いてくれる人がいて、聴いてくれる人がいて、そして、それはとても有り難い。逆もまた然りで、ラジオやCDやライブで、クリープハイプの音楽や歌詞や言葉を聴けることが本当に幸せだ。個人的には、クリープハイプの4人が鳴らすガシャガシャした音が好きなのだが、『インタビュー』のシンプルで滑らかな音は、この曲を、この歌詞を、心の奥にすとんと落としてくれる。この先の人生で、困難な局面にぶち当たったり、立ち止まってしまう時には、この曲がそっと寄り添ってくれそうだ。

07.  べつに有名人でもないのに

ピアノ始まりで、しかもしばらくの間ゆったりとしたピアノとドラムが続く曲なんて今まであっただろうか。なんて素敵な始まりなのだろう。活動自粛なんてすごく令和っぽいのに、曲調は昭和レトロな雰囲気を纏っていて、夜に2階の窓を開けて(サッシに片足かけたりなんかしちゃって)安い酒を飲みながら月でも見上げたくなる。『インタビュー』の後で、さらにスローテンポにしてきていることも、聴き入りやすくて心地よい。そして、途中から入ってくるギターが、しっかり聴いていないといつ入ってきたかわからないくらい自然に入り込んできていて、小川幸慈というギタリストの技術に無限に「いいね」を押したい。間奏の哀愁漂うギターももちろん良いし、尾崎世界観の優しい声もとんでもなく良い。あと、上手く説明できないけれど、「しかし」が本当に良い味を出している。月を見上げ、酒を飲みながら、今日1日の行動を振り返る時のBGMにしたい。ゆったりしたピアノサウンドは、心を浄化してくれるような気がするから、毎日聴いて、ヤバイ過去を作らないようにしたいものだ。

08.  星にでも願ってろ

とにかく今回のアルバムでは、ずっといろんなギターサウンドに出会える。小川幸慈は何人いるのだろうか? 本当にギターを弾き倒している! そして、『星にでも願ってろ』では、ドラマー小泉拓も小技をたくさん披露している気がする(楽器の知識も音楽の感性も皆無なので、「気がする」としか言えなくて本当に申し訳ございません)。軽快なリズムに反して、ちょっと憂いを帯びているメロディーも良い! そこに長谷川カオナシ全開の歌詞が、パズルのピースをはめるみたいにぴったりとハマって気持ちが良い! 好きな人のLINEのプロフィール画像や背景画像が変わればチェックし、ストーリーがアップされているのを見逃さず、あらゆるSNSをフォローせずにこっそり追いかけるような恋愛偏差値底辺のこじらせ女子なら心当たりしかないような歌詞に思わず吹き出しそうになる。相手の幸せを願っていることは嘘ではないが、独りなのは自分だけじゃないことを確認して安心したい。元カレが新しいペアリングをしていた時のなんとも言えない気持ちを思い出した。タイトルの「星にでも」や「願ってろ」もそうなのだが、「どうにか闇に葬らなきゃ/指ごとくれませんか」は、長谷川カオナシ節炸裂で、愛と呪いが表裏一体になっている感じが堪らなく好きだ。普通だったらもっと重い歌になりそうなのに、この表裏一体の気持ちをこんな風に軽快な曲にできてしまうところが、長谷川カオナシのすごいところで、本当にいつか長谷川カオナシ集を発売して欲しい。

09.  dmrks

電子音から始まる曲で「おぉ⁈」と一気に興味をひかれる。軽快なテンポで、『一生に一度愛しているよ』や『およそさん』に通じるものを感じた。(個人の感想です) さり気ないのに、トントン・ドコドコ鳴らしているドラムが最高だし、バインバイン(ギュインギュイン?)しているギターの音も最高だ!(あぁ、本当に楽器知識皆無の私を罵倒して嘲笑ってください…) それに加えて、後半の尾崎世界観の低音が堪らない! イヤホンで直に聴きたい! 耳元で囁かれたい!(と思ったファンは私だけではないですよね?) また、『星にでも願ってろ』の次の曲が『dmrks』なのが、感情移入しやすくて非常に良い!(あくまでも個人の感想です!) 私は、べつに有名人でもないのでエゴサーチはしないが、クズでゴミのどうしようもない奴をつい探してしまっているところは、尾崎世界観ならではな感じがした。(なぜだかクズとかゴミは見つかりやすいのだ) 歌詞に深い意味がありそうな感じもなく、単純に音を楽しむ楽曲として聴けるのが良い。15曲あり、全てに深い意味があると重くなりすぎてしまうし、意味があり過ぎると、こちらがエネルギー切れを起こしそうだ(良い曲は体力消費が激しい!)。このタイミングで『dmrks』のような曲を入れてくるなんて本当に天才だ。『dmrks』は、学校や会社でむかつく奴にむかつくことを言われた日には絶対聴きたいし、ライブでの『HE IS MINE』の「S〇Xしよう」や、『社会の窓』の「最高です」のように、みんなで「dmrks」と叫びたい!

10.  喉仏

言葉遊びが凄まじい! ここまでくると拘りを通り過ぎて執念と呼んでも良い。ドラマのタイアップ曲だから、失礼がないようにとしっかり作っていることがわかるし、本当に1つ1つの言葉としっかり向き合っているのだな、と感じる。 「当たり・障り・のない」「まるで・ハズレ・まみれ」「ブツブツ・念仏」「バレてる・見えてる」「わかる・逃げる」「心・ゴト・転々」「グダグダ・ブッダブッダ」と、至る所で韻が踏まれている。さらに、『喉仏』というタイトルにちなんで、「あみだ(くじ)」が阿弥陀にかかっていたり、「念仏」と「馬の耳」が繋がっていたり、神や仏に関する言葉が散りばめられているところに拘りを感じる。それでいて、メロディーはとてもポップでキャッチ―、そして、あの手この手を使って観客を夢中にさせたいMVのシュールな面白さときた! 仏陀とポップとシュールが盛り込まれている秀逸な1曲だ(絶妙に韻踏めず残念無念)。

11.  本屋の

タイトルからは想像していなかった疾走感のある楽曲だった。尖っていた『ABCDC』が、大人になって『本屋の』になったような感覚で聴いている。シャープなギターの音と早口のボーカルなのに、コーラスのおかげで、鋭さの中にやわらかさを感じる。どこか具体的なのに全体は靄がかかっている回想シーンのような歌詞からは、無限に物語が見えてくる。毎日は止まることなく続く。ずっとやりたいと思っているのに、いつも後回しにして、きっとこの先もやらないんだろうな、みたいなこともあれば、いつからか習慣になってしまったから毎日やっているけど、何のためにやっているのかわからないことがあって、やめればいいのになんとなくやり続けていることもある。ふと思ったことは、次の瞬間には消えていて、でも、1週間後に急にまた思い出したり、長い間、存在すら忘れていたのに、ふと見つけたら妙に愛おしくなって、大事にしまってまた10年後なんてこともある。思い出も同じで、夜景の見えるレストランでの豪華なディナーより、リビングでしょうもない深夜番組を観た時にしたしょうもない会話をいつまでも覚えていたりする。365日ある中の、見開きたった2ページ分でも、たとえそれが何も起こらなかった1日でも、それが日常で、そんな日常を詰め込んだ本を1冊ずつ本棚に置いていくのが人生なのかもしれない。でも、その中の1冊が、この先いつか、暗い夜道でつま先の先を照らしてくれるかもしれない。大事なページに折り目を付けたり、途中で栞をはさんだり、何度も開いているページに癖が付いたり、本の重さや紙の匂いを覚えていたり…。それぞれの記憶にそれぞれのトリガーがあって、涙が出たり懐かしく思ったり、あるいは何も思い出せなかったり、聴き手が自分の日常を投影できる曲だと思った。

12.  センチメンタルママ

クリープハイプと同世代のファンは皆、タイトルと歌い出しに「懐かしいー!」となった。そして、この曲が、風邪・インフル・コロナが流行る時期でのリリースというところに愛を感じる。まさに風邪をひいて、発売と同時にこの曲に救われたファンが何人かいたことはSNSで確認済みだ。喉が痛くて辛い時に作った曲の中で聴こえる「あぁ、クソッ…」がリアルで、痛みで歪んだ顔が目に浮かぶ。それでも、ノリの良い軽い感じに仕上げてくれているから、風邪も熱も吹き飛びそうだ。むしゃくしゃして全部をリセットしたくなった時にも聴きたい。そして、センチメンタルママを聴く度に、喉が痛くて食べるのがしんどいから、デリバリーでうどんを頼んだのに、サービスでから揚げがついてきた話を思い出して、ふふっとなる。(※ちなみに私は、節々が痛くならないスポンジだけ食ってる小側の人間です。笑)

13.  もうおしまいだよさようなら

アルバムの終盤で、この昭和レトロな雰囲気を感じる曲が入っていて、ほんわかした気持ちで聴ける。たぶん全然違うのだけれど、所ジョージ風味や吉田拓郎風味を感じる(二人の音楽を隅々まで聴いているわけではないので、ただのイメージだが)。「続き」「今度」「また」のような、「次」を想起させる言葉もほっとするし、なにより「大好き」というド直球な言葉が使われているところが「大好き」だ。優しい曲のら行の巻き舌も良い! 今回のアルバムの中で、1番脱力して聴ける曲だと感じた。この曲を聴きながら寝落ちしたい。

14.  あと5秒

「徒歩5分 一緒に歩けばまるで好きなバンドのMVだ」という歌詞を聴いた瞬間、『本当』のMVの中で、安藤サクラと尾崎世界観が歩いている映像が浮かんだ。『本当』も安藤サクラさんも、『あと5秒』のメロディーも歌詞も大好きすぎる(急にものすごく主観的。好きすぎると人は語彙力を失うようだ)。美人でもなければ面白くもない私は、モテたことはないし、人気者でもない。若い頃は「もしかしたら…」なんて期待するような経験もあったが、やっぱり本編の合間に入れてもらっただけのただのCM(広告)だった。『あと5秒』を初めて聴いたのはラジオだったが、すぐにその物語の登場人物になれた。安易な表現だが、涙がこぼれた。しばらくの間、何度も繰り返し聴いた。欲しい物なんて別にないのに、あと5秒でもいいから一緒にいたくて、コンビニに寄ろうなんて言って、別に欲しくもない物を買う。尾崎世界観は、きっとみんな一度くらいはこんな事をした経験があるのではないか、ということを歌詞にする天才だと思う。いつかライブで聴ける日を心待ちにしている。その時は、言わずもがな大号泣必至だ。

15.  天の声

Kアリーナでの長いMC。しんとした会場に尾崎世界観の声だけが響き、緊張感が漂う。2万人の「おまえ達」ではなく、1人の「おまえ」に向けての言葉に、多くの「おまえ」が涙しただろう。そんなMCの後に聴く『天の声』は本当に素晴らしかった。ラジオや雑誌のインタビューで言っていた通り、過去作品の歌詞が散りばめられていたし(他の曲の中にも過去作品の歌詞を見つけては愛を感じた)、きっと天に導かれるように作らされた、ファンのための曲であることは間違いない。Aメロ、Bメロなどときちんと構成された曲を聴いているのではなく、尾崎世界観の素直な言葉で語りかけられているような感覚だった。ツアータイトルにもなった「君は一人だけど俺も一人だよって」という歌詞が、心に突き刺さった。ぶっ刺さり過ぎて、ライブ中、曲にぶっ殺されるところだった。瀕死だったのは私だけではないはずだ(全員無事に生還できて良かった)。ただ、個人的にはライブの高揚感が後押ししている所があり、おそらくまだちゃんとこの曲を理解できていない(音楽は、本来そんな風に理解しようなどと考えて聴くものではないのだろうが…)。メジャーデビュー前、『左耳』の頃からずっと好きなのに、尾崎世界観の感情を全然遡れていないし、全然深掘りできていないように感じる。だから、1冊の小説を読み返す度に新しい発見があるように、『天の声』も何度も聴いて、尾崎世界観が、クリープハイプが、今まで見てきた、そして今見ている景色を、私も見たい。なんて言いながら、同じ景色なんて見えるはずがないことはわかっている。だから、ずっと追いかけていられるのだ。積み重ねてきたものと共に進化し続けるクリープハイプに追いつくことはできないけれど、いつもここじゃない場所に連れて行ってもらっている。
 2023年の企画〈だからそれはクリープハイプ〉で、受賞はできなかったがノミネート作品に選んでもらえた。本当に嬉しかった。それ以来、書くことが楽しかった。元々、読書は好きだった。大学時代に受講していたゼミで卒論を書いていた頃、文学が専門の教授に「あなたは小説を書きなさい」と言われた。大好きなクリープハイプの企画でノミネート作品に選んでもらえたことがきっかけで、「書いてみたい!」という気持ちが再燃した。まだまだ全然書けないが、文学賞に応募した。今までだったら、「憧れてはいるけど、そんなの無理だよ」と、やる前から諦めていただろう。けれど、作家・尾崎世界観が、私に勇気をくれた。一歩踏み出させてくれた。今までとは違う場所へ連れて行ってくれた。40代になってから新しい挑戦をする勇気をくれた尾崎世界観に感謝しているし、書く楽しさを味合わせてくれたクリープハイプに感謝している。
 だいぶ脱線したが、とにかく今わかっていることは、『天の声』は、このアルバムの締め括りに相応しい素晴らしい曲であるということだ。そして、この先、ファンにとって、本当に大切な曲になっていくだろう。


 全15曲。小説の短編集を読んでいるようだった。1曲1曲に物語があり、曲ごとにその物語の登場人物になれた。
 大事なことだから、もう一度言うが、いつも前の最高を飛び越えてくれるクリープハイプの最新が最高に最高だ! 当たり前のようにファンを感動させてくれるクリープハイプだが、「当たり前」は、当たり前だが、当たり前ではない。クリープハイプがファンを感動させることができるのは、仕事に真摯に向き合っているからに他ならないと思うし、ファンを本当に大切に思ってくれているからに違いない。
 15年、4人全員がクリープハイプを辞めずに続けてきてくれたことが本当に嬉しいし(本のバンドも、曲のバンドも、新聞や雑誌の記事も、触れれば触れるほど、感謝が溢れる)、フェスに出演し、ワンマンライブやツアーを開催してくれることが本当に嬉しい。ありきたりだが、Kアリーナで一緒に15周年を迎えられたことに喜びと感謝しかない。そして、あの日の問いかけの答えは、もちろん「死ぬまで一生愛します」以外あり得ない。
 長々と綴ってしまったが、最後まで読んでもらえただろうか?(メンバーとスタッフを信じろ、私!) 石丸電気より大きなこの気持ちを全力で受け止めて欲しいなんて欲深いことは言わないから、せめて「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」と言って欲しい。

#クリープハイプ #こんなところに居たのかやっと見つけたよ #ライナーノーツ

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