終わり方
何かを始めた人は、終わるときにも責任を持つべきだ。
友情や愛情になってくると少し話しは変わってくるけど、私が言う「始めた」と言うのは、お店だったり、ブログをはじめとするSNSだったり、そういう不特定多数の人に向けて何かを売ったり伝えたりしている人のこと。
ここ最近立て続けに、【好きだったお店が閉店していて悲しかった】という話を聞いた。業種はそれぞれ違ってサンドイッチ屋さんだったり、バーだったり、服屋さんだったりしたのだけれど、みなそれぞれそのお店に思い出を持っていたから、知らない間に店がなくなっていたことにショックを受けていた。
常連と言うほどでもなく、顔を覚えてもらってるかどうかと言う感じだったらしいから、お店側も伝える術がなかったのかもしれないが、それにしても唐突に好きな場所がなくなるというのは本当に寂しいことだと思う。
一人の友人はそれ以来、好きなお店には「このお店が好きだ」と伝えることにしたと言っていた。
SNSもそうだ。楽しみで読んでいたブログがなくなっていたり、Instagramでフォローしている人が突然いなくなったりしたら、とてもショックだし悲しい。私はSNS上のコミュニケーションが得意ではないので、コメントを残したり、DMを送ったりすることにマメではない。だから、私がひっそりと見て「この人おもしろいな」と楽しみに見ていたことを閉鎖した人は知らないのだと思う。
お店を閉める理由は、経済的なことだったり家族や健康の問題だったり深刻なことが多いかもしれないが、SNSは「疲れた」とか、「思ってるほどの反響がない」とかそういう理由が主な気がする。だったら、お店に「好きだ」と伝えている友人のように、私も好きなSNSの投稿者には「読むのを楽しみにしている」ことをきちんと伝えていれば、投稿回数は減れども閉鎖することはなかったのかもしれない。
たぶん、私のSNSもひっそり楽しんでくれてる人がいるだろうな、って勝手に思ってる。そして、もしひっそり楽しんでいる人がいたら、「ひっそり楽しんでるよ」って言ってもらえると私はすごくうれしい。
(言ってくれないだろうけどさっ!)
ちなみに冒頭にあげた「恋の終わりはいつもいつも立ち去るものだけが美しい」というのは、私が中学生の時に呼んだ森瑤子の小説に書いてあった一文で、当時の私の心に突き刺さった文章だ。
そして、40歳を過ぎた今でも、その通りだなと思う。
勝手に立ち去る人は卑怯で美しい。
取り残された者はみっともなくて悲しい。
だから、私は勝手に立ち去る人は嫌いである。