
エッセンシャルワーカーとしての死
なんて、ちょっと重めのタイトルなのですけれど
最近、久し振りに現職場が結構関わっていた闘病記を拝読しました。そこに、亡くなった存在を覚えていることに吃驚した、のようなニュアンスのコメントがあり
こちらも衝撃を受けたというか…
まぁ、病棟で勤務していれば年間相当数の患者さんと接することになるので、そう思われても致し方ないのかもしれない。
それでも結構覚えていて、印象深い方は当然。そしてプライマリーなんて特に!なにより、私たちの力及ばず…の方々に関しては、得てして忘れられないものなのです。
凄く、凄く頑張られていて、ご家族も目いっぱい応援していて、だからこそこちらも何とかしたい、何とかできればと情報を搔き集めて…
持てる手は全てやり尽くした。でも病魔は強かったという状況で、こうなることは判っていても感情はついていかず、悔しさ哀しさ遣る瀬無さ…そして失ってしまった寂しさ…
自分が初めてその場に立ち会ったのは25年以上前の新人時代
はっきり言って、知識では知っていたけれど目の前で何が起こっているのか、全く理解できていなかった。
つい2~3時間前まで会話をしていた方だった。それでも色々な機能が弱くなってきていることが見て取れて、ご家族を呼んでいた。
一生懸命名前を呼ぶご家族の声に向けられる反応が、少しずつ弱く鈍くなっていくのを、何処か他人事の様に眺めていたように思う。
先輩から、
『先生呼んで』
と耳打ちをされ、室内が啜り泣き交じりの呼ぶ声に満たされていることに今更ながら気づき、慌てて部屋を出てステーションに詰めていた医師に声を掛けた。
医師による生命活動のサインが失われたことの確認が淡々と行われていくのを部屋の片隅で眺めていれば、ドラマで観たことのある死亡宣告の言葉が、良く知る医師の口から告げられる
一瞬の間の後、室内は泣き声に満たされていた。
薄情なもので、自分は受け持ちの他の患者さんにするケアの段取りを頭の片隅で考えていた。時間内で業務を終わらせることが出来るのだろうか?
新人の脳内は、次の勤務者へ滞りなく引継ぎをすることに必死にならざるを得ないのだ。
不意に先輩に肩を叩かれ、室外へ出るようにと促される。いつの間にか、医師は室内には存在しなかった。
『エンゼルセット、大至急で他の病棟から貰ってきて』
廊下に出た途端、言われた言葉に脳内で咀嚼する前に駆け出していた。元々お見送りをする方を想定していない病棟だったため、定数として置いていないことは、周知されており急いで入手する必要があったからだ。階段を駆け上り、一番近い病棟に向かう。忙しなく目の前を通り過ぎていくスタッフに声を掛け、状況を説明すると他のスタッフにも確認して…と当然ながらすんなりと渡しては貰えない。それでも、至急必要であることは誰もが理解しているため、咎められることはなかった。
10分以上かかって戻れば、他の準備を済ませた先輩が自分の姿を確認するとお湯をベイスンに注ぎ入れる。
『ご家族に説明して、必要なものを預かって。それから葬儀屋さんの確認もね』
とラミネートされたものをエンゼルセットと交換するように渡された。そうして、そのラミネートを手にしたまま固まる。
『ご家族に(これから処置をするため部屋から出てほしい旨)説明して、(処置に)必要なもの(身体を綺麗にした後着せる寝間着(前開きの着物))を預かって。それから(利用予定の)葬儀屋さん(があるかどうか、ないようであればここに複数葬儀屋が載っているので、どこにするか決めてほしいこと)の確認(の上、連絡後何時にお迎えが来るのか、お迎えは当院の霊安室と伝えてほしい、また、葬儀屋を利用しない場合は、何時ごろお迎えになるのかの確認)もね』
と言うことなのだけれど、初めてのことでやったことどころか、シミュレーションすらしたことがない。まさかこの状況で、先輩に見学させてくれなどと言える筈もない。
哀しみに暮れる家族に追い打ちをかけることになるのではないんだろうか、血も涙もない人間と思われたくはない。などとぐるぐる考えるが、立ち止まっている訳にはいかず、ノックをしてから、未だ啜り泣きが聞こえる室内へ入り、ご家族の方へと説明を行い部屋から出て貰った。その際、お孫さんか曾孫さんか幼い女の子に
『なんでじーじおへんじしないの?』
と、心底不思議そうに問われ、本当に死にそうになった。
言葉が、一つも出なかった。
一瞬の逡巡の後、その子の母親だろう女性が彼女を抱き上げ、自分に頭を下げてから室内から出ていくのとすれ違うように、先輩が入室する。
そこから、エンゼルケアが始まっていた。
『〇〇さん、お疲れさま、頑張りましたね…』
先輩が話しかけながら、ベイスンに満たした湯で絞ったタオルで、顔から拭いていく。その様子に弾かれたように自分用に用意されていたタオルを湯に浸すが、自分の意に反して肩が跳ね上がり騒々しく水音を立ててしまっていた。
呼吸が上手くできなく、喘ぐような息が口から零れ落ちる。瞼が熱くて、視界が曇ってどうしようもなかった。
自分の身体なのに、どうやったってコントロールが利かない。そんな自分の耳に、大きく深い溜息が届く。
『…誰が、一番悲しいと思ってるの…?』
視界が利かないまま恐々顔を上げれば、静かで鋭い言葉にぐうの音も出ない。
『早く綺麗にしてあげて、ゆっくりお話ができるようにしてあげたいんだけど、できそう?難しいなら誰かに替わってもらいなさい』
冷めたタオルをお湯で温め直しながら告げられた言葉に、首を横に振って自分用のタオルを固く絞った。
『絶対に泣くな!』と言う諸先輩もいたけれど、『家族の前では泣かないように、またケアは迅速に行いなさい』と言うタイプの先輩だったので、踏み止まれたような気がする出来事だった。
まぁ、何が言いたいかと言うと、フィルターを掛けるように悔しさや哀しさを表に出さないようにしているし、感情をコントロールできなくなってくると、続けてはいられない業界なんだろうな、と。
そして、そうやって掌から零れ落ちていった方々のことは、元気になって帰宅された方々よりも、記憶に残り続けているのです。
また、エンゼルケアの時間は我々にとってもお別れをする時間としてとても大切だなと感じていて、元気だったころのお写真がある場合は、お顔をその写真に近くなるように整えたりしていました。現在は、その辺は葬儀屋さんがされることが多いのでしょうか?
なんて、取り繕えるようになってきたよ的な話になってしまっていますが、盛大に泣いたことがあります。
プライマリーって、本当に特別なんですよね
その方は、治療薬が存在しない疾患で、進行を遅らせることが出来る薬が存在するため、年に数回入院治療をする方でした。この年に数回と言うのは、進行が進むと間隔が短くなっていきます。進行を止めることはできない、でも治療しなければもっと進む。と言うことで、当然のことながら前回退院時よりもADLが低下しての入院となります。
また、良いのか悪いのかその疾患は多幸症状も連れてきて、いつも笑顔で接してくれるのです。
今までは、治療とリハビリでの短期入院だったため、プライマリーはつかなかったのですが、別疾患で他科入院していた後転棟され、施設入所になるか自宅退院か、と言う状況もありプライマリーをつけることになったという経緯がありました。
その方とは元々顔見知りで関係も悪くはなく、他科での治療で筋力が落ちてしまい自宅での生活は難しいのでは、と言われていたのですが、ご本人とご家族が何とか自宅でと言う思いが強く、ベッド←→ポータブルトイレが見守りでできるようになれば、帰宅しよう!と言う方針がチーム内で決まり、プライマリーである自分がその目標に向けてのプランを立て、結果的には主治医より自宅退院の許可が下り、退院日も決まったところでした。
後2日で家に帰れるその日、自分は夜勤で自分の受け持ちにその方も入っていました。
その方は、眠りが浅いのか夜間目を開けていることが多く、そっと扉を開けて室内に入ると、気配に気づいて首を巡らせ、視線が合うとにこにこ笑って、
『大丈夫だよ、いつもありがとね』
と疾患進行のために呂律が回らくなっても、告げてくれる方で
けれど、その日は違っていました。
身体のポジションを換える必要もあったため、先輩を伴って入室した瞬間、いつものように眼を開けている姿が目に入ったのだけれど、その双眸はまるでガラス玉のように何も映してくれてはいないものでした。
『〇〇さん!?』
名を呼びながら駆け寄り、軽く肩を揺するが反応はなし。ナースコールを押し応援を呼んでる間に先輩は当直へのコールと、救急カートの準備など、動いてくれていました。
夜勤は3人で行っていたので、もう1人の方からご家族への連絡を依頼され、連絡した際上手く説明できないのにも拘らず、直ぐに意を汲んで動いてくれたご家族には、感謝しかなかった
予想外の、本当に予想外の出来事過ぎて、その上最初に入院することになった他科の医師の対応に腹が立ちすぎて、未だ腹立たしく悔しかったことを忘れられなく、思い出しながら込みあげてくる涙を止める術を持たない自分に呆れます
その時は、夜勤だったことも共に夜勤だった先輩方も仲が良かったこともあり、泣いている自分を咎める人は誰もいなかった
ご家族からも、
『ありがとう。自分さんがいてくれるタイミングで良かった』
と言われてしまい。嗚咽で言葉が出ない自分にほとほと呆れることしかできなかった
あと2日で、帰れたのに
あんなに帰りたがっていた、家族のいる自宅に帰れたのに…
悔しくて、その上自分以上に悔しいだろう哀しいだろう家族の前で涙を止められないだなんて
まさに
『…誰が、一番悲しいと思ってるの…?』
ってやつですよ
夜が明ける前にお見送りをすることになり、出勤してきた日勤スタッフからは『自分ちゃんを待っていたんだねぇ』とも言われてしまい
何とか止まっていた涙腺は、呆気なく崩壊するし
中堅スタッフが、何をやっているんだと…
20年近くたっても、思い出せてしまうのだなぁと
込みあげてくる涙をどう始末をつけようかと、現在考え中です
本当にチャーミングで素敵な方でした
『死』が身近になってしまうと感覚が麻痺をする、と言う言葉を聴くこともありますが、麻痺を『する』んじゃなくて麻痺『させる』のだと、今は思います
麻痺させて鈍くしないと、どんどん自分が擦り減っていってしまう。でも、その方々への想いは消えないし消化もできない。やっぱり悔しいし哀しい。医療に限界はあるのも仕方がない。けれど、割り切れない
そして、その想いを自分たちより強く感じているご家族たちの前で、それを見せるわけにはいかない
自分は臨床現場を離れて久しいのですが、別の立場として、また身近に感じる場所にいたりもするので、どうにもできない現実とのジレンマは、今後とも付き合わざるを得ないのだろうと思います