自分と向き合う // キセキ15
この記事は、こちらのマガジンの記事です。
(前回までのあらすじ)
医療業界を志すため、社会福祉士の勉強を始めた私は、自分自身にも向き合うようになっていきます。
社会福祉士は、人に寄り添うための専門家とも言えます。その勉強を通して、これまでおざなりにしてきた自分自身についても、だんだんと理解が深まってきました。
今回の病気を通して、自分はいったい、何がどう変わっていったのでしょうか。
負の感情に支配されていた時期
まずは過去のお話です。私の人生は、特に人間関係に恵まれないことが多かったと思います。
孤独な学生時代
私は内気で引っ込み思案な子供で、幼少期から孤独でした。特に高校時代は、なんと1人も友達ができませんでした。校風が合わなかったことと、私のコミュニケーション力不足が、最大の原因だと思います。
まだスクールソーシャルワーカーなどなかった時代です。辛くても誰にも頼れず、ひとり耐えるしかありませんでした。
お正月が大嫌いでした。私たちは4人家族で、父、母、妹は年賀状が2桁来ている中、私には1枚もないのです。成人式は一緒に行く人がいなかったので、行きませんでした。
辛い新社会人生活
まだパワハラが大きな社会問題として認識されていなかった時代です。苦労して就職氷河期を乗り越え、80社目でやっと就職した会社でも、さらなる困難を味わいます。
激烈なラッシュに心も体も押しつぶされ、向かった先は怒号が飛び交うオフィスでした。仕事は非常にハードで、上手くできないと厳しい罰が待っていました。あまりの厳しさに何人もの人が心身を壊し、中には自ら命を絶ってしまった人さえいました。本当に、よく3年も続いたと思います。
人が怖かった
このように、私の若い時期は人と一緒に幸せを感じる機会に、非常に乏しいものでした。ほぼ全員「自分を排除したり、危害を加えてくる存在」として認識していたのです。
つまらない人生を早く終わらせたいと思っていた私は、38歳でがんの告知を受けることになりました。この重大な病気をきっかけに自分の命と向き合うことになり、これからの生き方について真剣に考え直していきます。
人の温かさに触れて気づいたこと
ここからは現在のお話です。がんの治療では素晴らしいケアを受け、自分は多く人に支えられていることを肌で感じました。病院でのボランティアは、私のがん治療でお世話になった都立駒込病院の役に立ちたいと思い、始めました。
何か少しお手伝いさせていただくと、患者さんは「ありがとう」と喜んでくれます。そして、その姿を見た職員さんも「いつもありがとう」と温かい声をかけてくれるのです。
とてもシンプルなことでした。自分から愛情を差し出せば、返してくれる人がたくさんいたのです。
これまで自分が差し出さなかったから、受け取れなかっただけのことなのです。また、せっかく相手が愛情を差し出してくれても、それを素直に受け取ることもできませんでした。
これは、自分自身に「どうせ自分はダメなやつだ」というレッテルを貼り、自分を閉じ込めていたからでした。自分の可能性を一番抑圧していたのは、他でもない私自身だったのです。
ボランティアやピアサポートなどの活動、そして社会福祉士の勉強を通して、私はそれらのことに気づくことができました。
残りの人生をどう生きたい?
がんという病から多くの人に支えてもらい、助かったこの命です。もう過去を悔いたり、誰かを羨んだり、そして未来から逃げるために、これ以上使いたくありません。
これからは、こうした負の感情から徐々に自分を解放し、感謝の気持ちで心を満たすための努力をしていきたい、と思いました。
いつも私を支えてくれる人たちに対し、感謝の気持ちをお返しすることに少しでも多く時間を使う。私からも、誰かへささやかな愛情を差し出す勇気をもつ。そのほうが、自分らしい豊かな人生を歩めるのではないか、と思うのです。
できないことばかりで傷つくのなら、今すぐできる小さなことを自分のペースでやればいい。小さな自信を積み重ねれば、きっと大きなこともできる。
小さな努力の積み重ね……、これは決して簡単なことではありませんが、諦めずにやってみます。そしていつか、一人でも多くの人に寄り添える存在になれるのなら、とても嬉しい限りです。
今日の音楽
Bette Midler - The Rose
この曲に込められた意味を学んだこと。これも駒込病院が原点なのです。