台北市立美術館へ[吾之道 : 何德文回顧展]を観に行ってきました。
何德文氏は台湾出身ながら日本にゆかりの深い画家です。
私は全然、何德文という人について知識はなかったので、事前にGoogle検索してみると、日本に暮らし、ほとんど日本人のような方のようで、俄然興味が湧きました。
台北市美術館にいくのも初めてです。
誘ってくれた台湾の友人とは、同じ宜蘭県に住んでいるけど、街が違うので台北行きに利用しているバス路線が違うことから、台北市内で待ち合わせをしてからMRTを使っての移動。
美術館の前に、ちょっと寄り道
その日は11時の待ち合わせだったので、まず腹ごしらえからということで友人が案内してくれたのが、なんと日本式の蕎麦屋さん。
実は友人は大の日本好きで年に何度も日本に旅行をするほど。
そして大のそば好きでもあったのです。
彼女は台北育ち、そしてご実家のある台北へは週に2-3度は帰っている様子。美味しい食べ物屋さんもとても詳しく、お気に入りのお店に連れて行ってくれたのです。
さすが大都会の台北、日本の料理でも本格的なものが食べられるんですね!
私は台湾での初めての日本そば屋さんです。
雰囲気もとても素敵なお店。
メニューを見せていただくと、こちらでの手打ちそばとのことです。
久しぶりにまるで日本に帰ったようなお蕎麦屋さんで、香り豊か、喉越しの良いお蕎麦、日本風の薬味付き天つゆの天ぷらも堪能しました。(台湾では大盛りの天ぷらを食べるときでも天つゆは一つしか出なかったりするのです😅)
そして穴子料理までいただきました。
そば湯もちゃんと出てきました!
大満足のランチタイムでした。
実はこのお蕎麦屋さんのすぐ近くにとても素敵な建物を見つけて、お蕎麦屋さんの前にふらっと見学!
次の機会には、この映画館で映画鑑賞もしてみたいもの。
この後は、暑いからとタクシーで10分ほどの台北市立美術館へ。
台北市立美術館
[吾之道 : 何德文回顧展]へ
何德文回顧展[吾之道]はこの美術館の2階の多くの展示室での大々的なものでした。
上記リーフレットにも示されていますが、この展示会では何德文の生涯が詳しく紹介されていて、その、日本との関わりの深さはとても興味深いものです。
何德文氏は台湾の新竹というところで1904年に生まれ、9歳の時に日本に留学、小学校は日本で終え、その後、中学.高校は台湾で、大学は東京美術大学(現東京藝術大学)を卒業。その後、日本で精力的に美術活動をされたと書かれています。
何德文氏は絵だけでなくたくさんの詩を詠み、多くの書が残されていて、台湾の高村光太郎と称されたといいます。
日本女性と結婚をして東京の目黒に居を構えておられたようです。
途中、生まれ故郷の台湾新竹に帰って、台湾の美術協会を立ち上げるなど台湾でも大きな功績を残しています。
後は亡くなられるまで日本に暮らしています。
琴の師範をされていた奥様との愛情あふれる暮らしぶりが、展示されている当時の写真やお互いの肉筆のハガキ、手紙のやり取りの内容からしっかり読み取れ、心が温まりました。
後に奥様が病に倒れて入院していた病院での詩や病室の窓からの写生など、悲しみがひしひしと伝わってきました。
上記のスケッチ以外にも
入院中の病室の窓から望めるお茶の水の景色が描かれた水彩画も何枚か展示されていて奥様を愛おしむ気持ちがひしひし伝わりました。
多数の芸術作品には、日本の風景や日常の暮らしを愛おしむ気持ちが伝わります。
思想的には宇宙と自分という壮大なテーマを掲げて大きな作品をたくさん残されています。
多くの展示品をゆっくりと観てまわりました。
このように、一人の芸術家の生き方、功績を回顧展という形でしっかり味わう展示会は初めての経験でした。
何德文氏の人となりに触れることができ、うまく言い表すことは出来ませんが、とても心の広い優しい方という印象が強く心に残りました。
日本とこんなにも深い関わりのある台湾の芸術家のことを知ることができて、台湾で暮らす日本人としてとても感慨深い気持ちになりました。
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