昭和の中学校「灯油ストーブ」

中学校教員歴37年になりました。

ぽつぽつ昭和から平成初期にかけての学校のことも書いていきたいと思います。

今日はストーブについて。


私の地域では現在、教室の暖房はエアコンになっています。

30年前は灯油ストーブでした。

灯油は毎朝生徒が運んでいました。

灯油倉庫に赤いポリタンクが並んでいて、

タンクにはマジックで学年と組が書かれています。

3年1組なら「3ー1」というように。

灯油を運ぶのは日直というクラスが多かったと思います。

けれど、灯油係を決めて係生徒が毎朝運ぶというクラスもありました。

私は、同じ生徒が毎日灯油を運ぶのはかわいそうだと思って、日直さんにやってもらうことが多かったのですが、

たまに「灯油係になりたい」という生徒もいて、「すごい子だな。見習わなきゃ。」と思いました。


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灯油ストーブはつけるのが難しかったです。

マッチの箱が教室にあって、それでつけるのですが、なかなかつきません。

そういう時はプリントを丸めてストーブに入れて、そこに火をつけたマッチを落としました。

火がまわるのをじっと見て、火が安定したらふたをしめます。

そのふたの重かったこと!

プリント作戦は灰が出るからよくないと先輩先生に言われていました。


でも灰のトラブルで故障したストーブは、ひとつもなかったような気がします。


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寒い日は灯油が流れる量を多くしました。

するとストーブがゴーゴーと鳴り出します。

火力が強くなると「ゴーゴー」が「ホーホー」に変わります。

初めて「ホーホー」を聞いた時は、教室にフクロウが飛んできたのかと思いました。

私が「何の音?」と聞くと生徒が「ストーブの音です。」と教えてくれました。

一度、ストーブ自体が真っ赤になってしまったことがあり、今思えばたいへん危険だったのかもしれません。


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危険といえば煙突。

ストーブから煙突が出ていて、それはまっすぐ天井に伸びています。


そして黒板左上の穴から外に出ていました。


熱くなった煙突には絶対触らないよう、口を酸っぱくして言っていましたが、

消しゴムを煙突にジュッと押し当てる遊びが流行ったこともありました。


ストーブの周りには鉄の柵を立てていました。


その柵をポキポキ取ってしまったり、ギューっと握って柵を曲げてしまう子もいました。


ストーブの柵の状態がクラスの状態を表す、ストーブの柵を見れば、どんなクラスが分かる

…と言われていたので、いつもヒヤヒヤしていました。


ストーブの上には、たらいややかんを置いていました。

たらいだったとき、カイロの中の黒い粉を全部入れて

先生、お汁粉ができたよ

と言われたことがありました。


叱りましたよ。

「ストーブでお汁粉ごっこをしてはいけません」

って。

叱りながら笑ってしまいました。


(先生っておもしろい仕事だな)って。


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休み時間、ストーブの周りで生徒たちと色々なことを語り合いました。

毎日のようにストーブで暖まりながら生徒と話していたのに、話の内容はひとつも覚えていません。

だんだん顔がほてってくるその暖かさと、生徒の笑顔はよく覚えています。

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初めて昔の学校のことを書きました。楽しかったです。


ぜひまた読みにきてください。



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