誰かに思うことは本当の自分が自分に思っていること

これに気付いてから
腹立つことが起きても
嫌なことが起きても
全て自分を知る為に
周りが起こしてくれていると感謝に変わるようになってきた

それでもどうしても誰かのせいにしたり
これは違うんじゃないか?と思うことがあって
モヤモヤすることが続いていた

恐れ、不安、心配、否定、枠

これらが自己統合、調和につながるキーワードじゃないかと最近感じていた

人を含む社会に対して
・否定を否定していたら否定する現実が起きる

・不安や心配を選択していったらそれが現実になる

・コロナ=恐怖ではない

それらが常に誰かや何かに対して感じていたことだったが同時に私のどの部分にそれらがあるんだろうかとずっと内観を続けていた

そしてついに見つけた!!!

気付いた時には驚愕した😱😱😱

ことの発端は3年前
私が自分らしく生きる、今を生きる選択を本格的に始めた3年前には全く自己受容ができていなかったし、今自分は何を感じるているのかがよくわからなかった

そんな中で自分のふとに従って生きるをやり始めたもんだから自己否定はそのままでしかも周りの評価を気にしながら色々なことに挑戦していた

プロのダンサーの指導の元ダンスチームを作って大会に出たり

お茶会、映画上映会、ワークショップなどを企画したり

一人で海外行ってみたり、ふらりと色んなところに行ったり色々試してきた

やろうとすればするほどお金はかかるし、とんでもないことを思いつくから私には無理

自己受容できてなかった私は何をやっても、うまくいっても根底に在る「やっぱり自分はダメなんだ」から抜け出せずその現実を作っていた

だから自分のふとに従うことが怖くなり、自分はどうしたいか?ということに対して(全てではないが)蓋をしてきたところがあった

お金を使うこと、やりたいことをやる前に自己受容が大事だったことに気付き内観をずっと続けてきた

自己受容がだいぶできるようになってきて現実のカラクリが知識ではなく体感として腹落ちできるようになってきてからも「自分は何がしたいんだろうか」というのが明確に出てこないのが不思議だった

ハンモックヨガに行ったり、編み物したり少しずつやりたいことはやってきたものの何かモヤがかかっている感じがしていた

それらを少しずつやり始めたから気付けたこと、とも言える

今日、何気なくみていた動画で「自己対話」というキーワードが入ってきて、本当に会話するように頭の中で自分と会話していったら出てきた

自分が自分に1番恐れていたってことや

何がしたいのかわからないのは自分がやっちゃダメだと蓋をしてきていたってこと

自分が自分を心配して恐れて、望んではいけないと否定して枠の中に閉じ込めていたという事実に愕然としてしまった😱😱😱

3年前やってた自己対話も自分をなだめる為に正当化し続けることになるから嫌になってやめていたんだと思い出した

3年前の自分と今の自分は違う

どう感じるか、何がしたいかを思うのは自由、なのにね

笑っちゃうよマジで😂

(分離してるな、あの人)と思ってたけど
いやいや、分離してるの自分やろが!!!と自分にツッコミ入れたい 笑

ホントすんません

もう本当自分に謝って、現実世界で私に教えてくれてた人達に心から感謝したい

だから本当に誰かが悪いというのは世の中にはなくてただ自分がどんな意識なのか、どんな信念を持っているかを周りが教えてくれてるだけなんだよなぁと改めて思う

自分と繋がれば世界は調和していく

世界は自分次第

だから内観、自分を知ることが大事

他人と対話していくのも大事だけど自己対話はもっと大事だな

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