自己紹介⑦心と体が悲鳴を上げる
愛犬の安全と安心を確保でき
ホッと一安心。
あとは夜逃げ(昼逃げでしたが)を
私が仕事をしている間に、夜逃げ屋さんに
全て想定どうりに完了させてもらうだけです。
実はその当時警察からも
「一人暮らしはしないこと」
「何かあっても助けてもらえるような
環境を整えること」
を強く言われていました。
でも、私の小さなプラドが許しませんでした。
自分一人で頑張ることが
「努力している自分」だと勘違いして
実家に帰ることは「負け」だと
思っていたんです。
そんな小さなプライドを曲げられずに
警察の忠告を守らずに
ホテルを転々とし眠れない日を過ごし、
さらには自分もいつ見つかって危険な
思いをするかもわからない状況を生み出して
いました。
【何もなかったように過ごす日々】
夜逃げは全てシュミレーション通りに
進みました。
夜逃げ屋さんの女性社長さんから
「モラハラする人は変な動きに対して感度が
高いから、引っ越し中にくる人がいる」
「その時も対処するから大丈夫」
そう言って作戦を一緒に考えておきました。
私は仕事に没頭し、何も考えないように
していました。
そして仕事が終わるころ携帯を見ると
「全て無事完了」
そして
「アイツが来ました。対処済みなので大丈夫」
そう社長さんから連絡が入っていました。
やっぱり来たんだ…
どこかでやっぱりあとをつけられて
いたのではないかという恐怖心で
全身に鳥肌と寒気が走るのがわかりました。
薄暗い職場のロッカー室を急いで抜け
残りの仕事を急いで終わらせると
実家に帰りました。
実家に帰ると
「怖い、怖いよ」
「どうしよう、追いかけてきたら」
玄関先で私はパニックになり泣き叫びました。
そんな私を母は
「怖かったね、大丈夫だよここは」
「大丈夫、大丈夫」
そう言って落ち着かせてくれました。
夜になっても恐怖は消えず
小さな物音に敏感になり
いつ玄関を叩く音がなるのかと
眠れないまま朝を迎えました
【それでも仕事は行かなくちゃ】
それからというもの
相変わらずの恐怖心と寝不足を繰り返しながら
真っ青な顔をして仕事へ向かう日々。
それでも白衣を着れば看護師の仕事に没頭し、
自分の感情を何もなかったことにして
仕事をし続けていました。
日を追うごとに食欲はなくなり
何も食べたくはありません。
それでも看護師として、管理者として
やることはたくさんありました。
その頃話題になってきたのは
「コロナウイルス」のこと。
感染対策や教育についても日々対応を
迫られます。
日勤で看護師の仕事と管理の仕事
そして、そのまま当直をし(職場に泊まる)
翌朝仕事をして家に帰っても
昼過ぎには職場に呼び出されほとんど
休まないまま職場へ。
睡眠、休息、食事、心の安定
全てを無視したまま走り続けた半年以上
の代償はこのあと大きなものとなって
自分に返ってくることになります。
【自分の心と体を無視し続けた代償】
ある日の朝、出勤のために起きあがろうとすると
目の前があっという間に灰色になり
歪んでいきました。
次の瞬間、頭を金属バッドで後ろから殴られたように
ガンガンと痛み出します。
「頭痛い、痛すぎて。起き上がれない
でもあと30分我慢すればなんとかなるかな。
今日は会議だし、なんとしてでも
職場に行かなくちゃ。」
その時点ではまだまだ自分の体の異変に気づいて
いませんでした。
いや、気づいていても無視して
なんとかして仕事い行かなくちゃ、
そう思っていました。
30分ほどして起きあがろうとしたとき
経験したことのないようなめまいが起こりました。
例えるなら
コーヒーカップを全速力で回しているような感じです
「ダメだ。気持ち悪い」
諦めて職場に連絡し、午後から出勤しようと
しましたが、それでも体調は回復せず
その日は1日休みをとりました。
その翌日になると頭の痛みはさらに増し
動けなくなりました。
「ごめんなさい、仕事に行けなくて」
そう職場に電話したような気がします。
その後、2日ほど経った頃?
(この辺はよく覚えていません)
私は救急車の中にいました。
病院の硬いベッドで
吐き気と頭がおかしくなりそうな頭痛で
声もちゃんと出せない
自分が自分でなくなるような感覚
がありました。
もはや横になることさえも苦痛で
身体中にしびれのような違和感が常にあって
辛いのか、悲しいのか、痛いのか
わからない涙がずっと止まらない。
入院して最初の数日はどう
過ごしていたのかよくわかりません。
胃カメラやMRIを撮っても異常はなし。
「極度の脱水と過労」の診断でした。
少し体調が落ち着き始めた入院中
ふと、どうやって命を消そうか思い始めました。
そのとき、私、本当にダメかもしれない。
私がもう本当に自分で命を消してしまうかもしれない。
そう危機感のような感情が沸きました。
そして冷静に「鬱のセルフチェック」をスマホで
し始めます。
どのセルフチェックをしても
「命の危険があります。早急に受診をしてください」
の文字が出てきます。
まあ、でも自分で気づくくらいなら
内服でなんとかなるかな。
自分のことになると、どこまでも甘い考えに
なっていました。
【心療内科の受診】
退院後に、心療内科の外来に受診しました。
心療内科の先生は
「過労で入院するほど仕事を頑張ったんだね」
「大変だったね」
そう言って静かに私の話を聞いてくれました。
しかし私が
「もう体調も良くなったので仕事に行こうと思います」
「心療内科の内服があれば、大丈夫です」
そう言うと
「しばらく仕事は休みましょう、そうしないと
本当にあなたの心が壊れて元に戻らなく
なっちゃいますよちゃんと休む、が必要なんですよ」
と少しキツイ口調で言いました。
救急車で運ばれるほど体調が悪化しても
鬱のチェックリストでかなりの高得点を叩き出しても
「自分の弱さのせい」
「誰かに迷惑をかけてしまってはいけない」
「早く仕事に行かなくちゃ」
と、自分を責めることが抜けないままでした。
自分を責めるばかり、焦っている状態
だから内服を始めたところで
鬱の状態は不安定そのもの。
1日中動けず、眠っていると思えば
自分を責める言葉を吐き続け
「私は生きていない方がずっと世の中のためだ」
そんなことばかりを言っていました
そして、この頃は半年以上ほとんど
食べていないので
体重は157cm、36kgほどしかなく、
横になると背中や腰の骨が出ているので
ベッドに当たって痛み出し、眠れないのです。
心療内科の通院でもあまり状況は
良くなることはなく、とにかく内服の量、
眠剤の量がどんどん増えていきました。
【運命を変えたハッシュタグ】
眠剤を飲んでも一向に眠れない私は
夜中になると
看護師を辞めても働けるものはあるのか?
看護師になって鬱になった人の働き方とは?
女性のしあわせな働き方とは?
看護師並みに稼げる働き方とは?
そんなことをテーマに日々
検索し、自分なりの考察を書き留めていきました。
(だからちゃんと休みなさいって)
そしてある日検索したのが
「#月収100万円 #女性 」の文字。
とハッシュタグに続く
Facebook ライブ
「月収100万円を達成した女性起業家の夜会ライブ」
が表示されました。
そこには4名の
キラキラとした女性起業家さんが
笑顔で映っていました。
私が今まで見ていた医療職の世界では
一切みたことのない笑顔に溢れる人たちの
姿はとても魅力的に感じました。
その場でその方4名の公式LINEに登録し、
Facebookライブのアーカイブを何度も何度も
流し見しました。
そっか、
起業という方法があったか。
何か自分の中で納得できるようなところに
たどり着いた、そんな感覚がありました。
それと同時に看護師という仕事への
プライドや執着が手放せた感じがしました。
そして看護師を辞める、
という決断をしました。
【頑張っても、がんばっても報われない】
もう、これだけのどん底を味わった
だからもう怖いものはない、そう思って
はじめた「起業」
糖尿病内科で鍛えてきた
カウンセリング力を使っていけば
ダイエットを成功に導けると自信を持って
スタートしました。
当時の私は自分と誰かを比べて
「私はできない、できない」と苦しみ
それなら自分は人の倍の努力をしようと
無理難題を自分に課して
休憩や睡眠時間を削って発信や制作物を
完璧にこなしました。
するとまた
心と体がまた悲鳴をあげ出しました。
すると努力だけは惜しまなかった私の姿を見て
私が所属していた起業塾を主宰している方から
「オンライン秘書をしないか」と
声をかけていただきました。
それから約3年間、すっかり「ボス」の
アシスタントとして仕事を任されるように
なった私は「自分への自信」を少しずつ
取り戻せるようになっていきました✨
転職や夜逃げ、そして鬱になり
辛かった当時のことも、
もう一度涙しながら振り返って
自分の生い立ちから全部振り返って
気持ちが整理できてきたのは
夜逃げ、鬱から3年が過ぎた頃でした。
それでも、私の本当の心は
もがいても、もがいても前に進まない
いつも溺れているような感覚がありました。
でも、またその心の違和感を無視しながら
笑顔でニコニコしながら仕事をし、
人に合わせ、自分気持ちには向き合おうと
しませんでした。
次回自己紹介⑧に続きます。
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