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感じるということ

昨日の帰りの電車が、人身事故で止まっていた。
子供のお迎え時間に間に合うのかハラハラしながら振替の路線の満員電車の中で別ルートを探す。
ルートは何件も出てくるが、まだ運転再開してないとか遅れてるとかでベストがわからない。

こんな風に予定が変わるとか、沢山の選択肢からひとつを選ぶとかにすごくストレスを感じる。

いくつかあった選択肢の中で選んだ(選んでしまった)ルートは新幹線も通る大きな駅。あまり利用したことはない。
多くの人が交差する中で、乗り継ぎのホームを探す。

乗り継ぎのホームを見つけ、電車がくる間に保育園に『〇〇の母です。電車が止まってしまってお迎えが遅れます。』の連絡を入れる。

また湿度の高い満員電車に乗って、ようやく地元の駅へ。
外に出るとザーザー降りの雨でなんだかぐったり疲れて泣きたくなってしまった。


家に帰って、暖かいお茶を飲み少し落ち着いた時に、先ほどの駅の光景が過り、更に上京してすぐに新宿駅で迷子になった時のことを思い出した。

山形県の生まれ育った所は、最寄り(と言っていいとか分からないほど)駅は徒歩60分以上だし、通学の時間帯以外は無人駅になるほどの小さな駅。

そんな田舎から出てきたもんだから、新宿駅で迷子となるとそれはそれは恐怖だった。

沢山の人が早歩きで行き交っている。
止まってはいけないような、止まれないような、ただただ流されていく感覚。自分がどこにいるかも、この先どこに着くのかもわからない。
その時、もちろん携帯電話は持っていたのだけど、充電が切れていた。
怖くて誰かを呼び止めて、聞くこともできないかった。
同じところを何度もぐるぐるして、でも、目的地は見当たらなくて(確か西口の改札前に待ち合わせしてた)、ずっと泣きそうだった。

余談だが、今ならすぐに人に聞く。それは歳のせいもあるかもしれないな。

それを思い出した時に、先日のMOTOKOさんのセッションが浮かんだ。
セッション中の対話で、私は『自分のことがわからないことが苦しかった』話した。

私はいつからか自分のことがわからない状態だった。まさにそれが新宿駅で迷子になってる状況が頭の中で起こっていた事だったと思う。
漠然とした焦りと不安を感じで、イライラしやすかった。

1時間くらいなのか新宿駅周辺を彷徨って、待ち合わせた人と会えた時には、ぶわっと涙が出たのだけど(どうやって会えたかが覚えていない)迷子の途中は緊張感でいっぱいで泣くこともできないし、怖いとか不安とか、それも感じきれない。

安心、安全な状況じゃないと、怖いも不安も感じることができないのだなと今は思う。

仕事を減らし、リトリートに参加しているからといって、不安とかがなくなったわけではない。いろんなところでザワついたり、頭にきたり、落ち込んだりしている。

仕事を一旦辞めようと決めたのは去年の7月の事だった。辞めたのは年末だったので、その半年間の中で気持ちも揺らいだが、立ち止まるということを許せて本当に良かったと思う。

不安だとか怖いとか、嬉しいとか楽しいとか。
まずはちゃんと感じれることがスタートなのかな。




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