熱が出たので、3日間息子と離れてみた、その結果…
息子が3歳になった頃の話だ。
不甲斐ないことに、母である私は高熱で3日間寝込んでしまった。
産後初めての発熱である。
夫は気を遣ったのか、息子を連れて、自身の実家に避難した。
期間は3日間だ。
私としては、3日間も息子と離れるのは前例なし、初めての経験である。
正直息子のことを考えてあげられるほどの余裕はなく、保育園の送迎すらも行けるような状況ではなかったため、夫には感謝だ。
結果として、3日間、育児の全てを夫に丸投げしてしまったわけだが、それによって互いに新しい収穫があったのだ。
今回はその気付きを2つ紹介していきたい。
まず、1つ目。
夫から「そういえば保育園の先生、○○(私)のこと褒めてたで」と、後になって言われた。
具体的にどう褒めてくれていたのかが気になり、内容を問うと「真面目に向き合ってる」と言うのだ。
私は常日頃から夫にこう言われている。
「真面目すぎる」と。(これは決して褒め言葉ではない)
褒め言葉か褒め言葉でないかはどうてもいいとして、まさか先生までも、真面目という見立てだったとは…と。
適度な不真面目で向き合うほうが、そんなに楽かと。
このことが、改めて自分の育児を客観視するきっかけとなったのである。
2つ目。
2019年に息子が生まれてからというもの、その慌ただしさは異例であった。
2019年8月 ベトナム→日本(東京)帰国
2019年10月 出産
2019年12月 東京→地元
2020年1月 地元→ベトナム
2020年3月 ベトナムロックダウン
2021年1月 本帰国(一旦地元へ)
2021年9月 地元→大阪
2021年10月 大阪で保活・就活開始
2022年2月 保育園決定
2022年3月 就職決定
2022年4月 ようやく落ち着く
と、このように、幼い子供を連れて国や県をまたぐ移動があまりにも多すぎて、正直1人目を育てている身としてはパンク寸前であった。
そして夫は体調不良により、半年間休職という極限状態でもあった。
出産する時もひとり暮らしの状況で、夫はベトナム、私は深夜0時に陣痛タクシーを呼び、ひとりで陣痛に耐え、6時間後に無事産まれたのが長男だ。
何もかも夫に頼れない、張り詰めた糸がピーーーンと張った状態の日々が2年半あまり続いたため、「暇」な時間はあっても「自由」な時間は皆無だった。
よって「全て私がきっちりこなさなければ」というマインドが、この2年半で見事に固定化されてしまったという訳だ。
しかしその張り詰めた糸は、ついに、39度の高熱によってプツンと切れてしまった。(もうだいぶ糸も劣化していたんだと思う)
こうして私は2022年11月、体温39度の身で「暇」と言ってはおかしいが、自身の看病をしながらも、3日間「自由」を手に入れ、全ての時間を自分のために使うことができた。
ごはんなんて作らなくてもいい、オムツだって替えなくていい、保育園の連絡帳だって書かなくていい、送迎もいらない、お風呂だって入れる必要はないのだ。
こんなにも、24時間フルに、自分がやりたい時にやりたいことができる。しかも3日間もだなんて、本当に心から幸せだった。
3年ぶりに、解放された瞬間だった。
多分私は、育児ノイローゼになりかけていたと思う。
正直我が子のことが、「うるさい」や「面倒くさい」としか思えなくなっていたため、たった3日間「自由」を手に入れたことで、心は確実に癒えたのだ。
つまり、何が言いたいか。
そろそろまとめていきたいと思う。
子育て中(特に3歳以下)の母親全般において、"半日〜1日程度"の断片的なものではなく、まとめて3〜5日間程度離れて過ごすことで、新しく見えてくるものがある。
私の場合、きっかけは高熱だったのであまりゆっくりはできなかったが、まとまった「暇」があることで、ボーッと紅茶を飲みながらYouTube見てる時に、良いインスピレーションが思い浮かんだりもした。
あれもこれもと、キッチリこなすことが必ずしも正ではない、ということだ。
確かに、子育てをしていれば、お昼寝失敗して夕飯前に寝られるのは困るかもしれない、21時に寝かさないと7時に起きてくれないかもしれない、好きなだけ食べさせてたら肥満になるかもしれない、など、キッチリ管理してあげなければならないポイントは多々発生する。
ただ真面目がいいか悪いかは正直分からない。
いい時もあるし、悪い時もあるのだ。
これが全てである。
1年に1回、最低3日間だけでいいから、ママは子供と離れ、その間は子供のことを一切忘れて自分のために時間を使って欲しい。
そして、体調管理だけはくれぐれも注意して欲しい。
伝えたいのは、それだけだ。
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