悲しみや寂しさの向こうにあるもの
悲しい。寂しい。そんな感情をとうに超えたところにある風景を見るのは、何度目だろう。
今日は、ひさびさに淋しい。
そう、孤独で死んでしまいそうなほど寂しいときもあるけれど。淋しさに比べると、まだ生きてる実感がする。
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「いまのあなたに必要なのは、きっと心の交流なんですよね」
これは、今年2月に受けたカウンセリングで言われた言葉だ。その通りだと思った。
わたしはもう、ひとり部屋の中で、自分の感情をノートに書く作業をできる気がしない。
正確には、できないというのには2通りある。
一つ目は、悲しすぎると感情鈍麻してしまって、悲しみに浸れないことが昔からよくあった。心が乖離してしまうのだ。でも、今回はこの理由じゃない。
自分の感情を、自分一人で眺める作業をしたくない。そう、できないとは言い切れないが、したくないのだ。
贅沢だ、わがままだと怒られるだろう。それでも、もうあんな淋しい作業はしたくない。たぶん一生分の淋しさを感じつくしてしまって、限界な気がしている。
弱いだけかもしれないけれど。
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13年前、わたしは社会不安障害になって2年が経っていた。生れてはじめて一人暮らしを始めることになった。
それまでというと、金銭的に余裕がなかった私の実家に一人部屋はなく、妹と一緒の部屋だった。そして大学に入学してからは学生寮の2人部屋だった。社交不安障害になってからは、彼の家に居候させてもらった。実家には、恐しすぎて帰れなかった。
大好きな彼だったけれど、深夜まで塾のアルバイトの仕事をしていた。不眠症に悩まされていた私にはちょっと過酷で、だから一人暮らしを始めたときは、なんと心地よいことかと感じた。
特にあのころは、自分の気持ちも体も不安障害のせいで、自由にはならないことが多かったから。
その部屋でわたしは、幼少期からのたくさんの気持ちをノートに書きだした。不安障害になってから、機能不全家族について初めて知った私は、書くことで、うつ病や不安障害、そしてACの自分を脱したかったのだ。
でも、書いても書いても感情はあふれ出てくる。怒り、悲しみ、寂しさ、虚しさ、切なさ、言い尽くせないほどの感情が。
そして今でもきっと、幼少期からの記憶をわざわざ掘り起こせば、凝りもせず感情があふれてくるような気がする。圧倒されるのではないかと恐れるほど、たくさんの感情が。
でも、社会不安障害である私には当時安心していくことのできる場所や会える人はごく限られていた。必然的に一人の時間がぐんと増える。さびしい。
不安障害になる前から当時付き合ってて、帰省する際には新幹線でついて来てくれた彼とも、ひょんなことから別れてからはより一層それが強くなった。
あまりに長い間一人で過ごしているうちに、アパートの脇の道を歩く学生の声が、本当なのか幻聴なのか、どうやって証明したらいいんだろうと考えてしまう。
そして、あふれ出る怒りや悲しみも、ぶつける相手はいない。
ごくたまにある、貴重な嬉しさも楽しさすらも、誰一人知ることはない。
もしかしたら、自分が目が覚めたと思っているだけで、死んでしまっているのかもしれないと、当時流行った映画「シックスセンス」の影響で考えてしまったりして。
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こんなことを書いたら怒られるかもしれないが。
きっと、寂しさというのは、この世とのつながりを少なくとも持てている実感のある人(またはつながりが「ない」ことを知ってる人)が感じるものだ。
そんな寂しさや切なさや虚しさの向こう側にあったのは、圧倒的な淋しさだった。
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それでも、どんなに長い夜でも日は登る。実際にわたしは社会復帰して、今に至る。
どんなに深い闇にも、月が顔を出せば、くっきりとした影が出ることもある。
だから、今がどんなに淋しくとも、光はあると信じたい。
そして、どんなに今が闇のなかに居る自分でも、誰かの光になれるさと信じてるみる。結局、そんなことを信じて光にしているのは傲慢だと知りながら。
田舎の町に、引きこもりの人も含めたフリースペース、フリースクール、そして職業訓練施設を作ることを夢見てます。応援していただけたら嬉しいです。