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2024年6月 東京散歩 ①お茶の水~市ヶ谷

僕たちは散歩が好きだ。だってお金がかからないし、健康的だし。

中高生の頃から「散歩同好会」を名乗って、ただ目的もなく歩いてきた。
ただ、月日は残酷にも僕たちを追い越すように進み続け、もう僕たちは来年30歳だ。
身体と時間は青少年の精神を瞬く間に追い越し、無機質に勤勉で有能な社会人になるべく日々を励んでいる。

ただ精神は心の檻で体育座りをしているほどお利口さんではない。

「ダラダラと散歩がしたい」

そんな欲求に苛まれ、僕たちは活動を再開することにした。

基本的なルール(暫定版)
・スタート地点、歩行距離はメンバーの予定を考慮し、話し合いで決める。
・スタートからの方向を16分割し、ルーレットで決める


記念すべき第1回目は2024年6月、新御茶ノ水で始まった。

仕事終わりで腹をすかせた社会人2人はまず「すた丼」で栄養補給をする。そろそろ体型も気にしないといけない年齢ではあるが、腹八分目という精神もまだ肉体に追い付いていない。

沢山食べた贖罪を携えて夜の散歩をいざ、始めた。



①豚の角煮が旨そうな中華屋(新世界菜館

散歩を初めて最初に立ち止まったのは中華料理屋だ。贖罪といいながら早速目に入るのはご飯屋さん。すた丼の後に何故か引きつけられたマクドナルドで買ったバニラシェイクを片手に、豚の角煮のサンプルが横目に移った。

分厚い角煮に照りのついたタレがかかる。丁度のところで火を止め、いい塩梅にとろみのついたタレをこれでもかと絡ませ、口の中に一気に放りこむ。マナーも火傷も気にすることはない。ただそこにあるのは現実社会から一時的に解放された欲望のみだ。
タレの香しさや甘さは鼻腔と舌から直接前頭前野へと伝わり、脳溝をパチパチと電撃が走る。
身体の細胞は滾り、喜び、生命の喜びを祝福しているかのようだった。
僕たちはその浮遊した高揚感のまま店を出た。

……おっと、これはあくまで想像上の食レポであった。そもそも調べるとこの中華料理屋のメインは上海ガニだそうだ。

更なる実地検証が必要だ、今度食べに行って詳細なレポートを記載せねば。

② 趣のあるうなぎ屋 (今荘

夜の靖国通りを更に進み横断歩道で立ち止まる。ふと左を見ると近代的な街並みの中にポツンとそびえる古びた建物があった。光の少ない夜の中で、それは海に孤独に佇む灯台のように見えた。

光を望む虫のように流されながら僕たちはその建物の下までたどり着いた。

そこはうなぎ屋であった。

明治時代に牛鍋屋として開業し、今はうなぎ屋を営んでいるようだ。「るろうに剣心」で主人公たちが牛鍋を食べている描写を思い出し、また性懲りもなくお腹が空く。

ただ僕たちが感じたその場所についての感想はそこではなかった。

ここを上空から見るとこうなる。

そう、何故かいびつな形で駐車場に囲まれているのだ。そしてこの駐車場はうなぎ屋と提携しているわけでもなかった。

僕が物珍しそうに建物の周りを回っていると大手不動産屋社員でもある散歩同好会会長はこういった。

「これは立ち退きをしなかった店舗の最終形態だ」

マンションやビルを建てるために不動産会社が土地の買収をしたが、その店舗だけが立ち退かず、苦肉の策として周りを駐車場として活用しているのだそうだ。

「そんなことを知った後で食べる鰻は美味しいのか美味しくないのか」
僕はそう思って、その場を通り過ぎた。美味しいか否か、これもさらなる実地検証が必要である。

③ ビルに囲まれた神社(妙法衛護稲荷神)

さすがは不動産屋の視点。その視点を一度受け入れてしまうとやはり東京には不動産開発の名残が沢山見えてくる。

裏路地を入るとビルの敷地内の一角に鳥居が見えた。事情を知らない僕たちはその異質さに唾をのんだ。
横は共立女子大学であり特に目立ったお店は無い。学生か地元の人が通るかといったくらいの場所だ。

ただ調べてみると、ここにはいわくがある訳では無さそうだった。詳細は不明だが震災や戦災を経ても残り、開発によってビルに囲まれても堂々と残っている神社だそうだ。小さな土地だが大きな自信と風格が両端を守る狛犬からは感じられた。

第一回でこんなところに出会えるとは縁起がいい。

④ 「ねぐせ。」のライブ終わり

首都高の下を通り過ぎると九段下へ着く。靖国通りを進むと、ティファニーブルーのタオルやシャツを携えた若者たちが僕たちと真逆の方向へ進んでいる。まるで川を上る魚のような気分になる。

その川の源流は武道館から来ていた。その澄んだ色とは対照的に、武道館へ進むにつれ熱気が辺りを包む。今まさに燃え盛っているわけではないものの、残り火は武道館への道を照らす行燈のように存在していた。

「ねぐせ。」

武道館の前の看板にはそう書かれていた。

流行に疎い僕たちはこの名前がアーティスト名なのか曲名すら分からない。よく看板を見てみるとアーティスト名のようだった。武道館でワンマンライブをできるようなアーティストを知らないなんて時代という川の流れから完全に置いてけぼりで寂しさを感じる。

武道館から靖国通りを更に南下しながらどうにか時代の流れに追い付こうと「ねぐせ。」の「日常革命」を聞いてみる。優しいメロディーに包まれていると一時的に自分が周りの中高大生と同じになったような気分になれる。今の僕はもうこの曲にはハマれないかもしれないけど、青春に流行った曲っていうのはそれだけで尊い。

そんな気分で歩いていたからか靖国神社に入ると高校生の頃の甘酸っぱい記憶があふれ出てきたのだった。

⑤ 靖国神社の御霊祭の思い出

それは15年前くらいの話だ。高校一年生になってはじめて彼女が出来た。その夏に靖国神社の御霊祭へ彼女と行った。

記憶は定かではないが、おそらく九段下で待ち合わせをしてそこから靖国神社の本殿へ歩いたはずだ。

2024年の今と同じような夏。僕が暑いというと彼女は石鹸の香りのシーブリーズを背中へとかけてきた。ひんやりした背中への刺激と僕の驚いた表情を笑う彼女の様子がおぼろげな記憶の中ではっきりと浮かび上がってきた。

参道の両脇には多くの献灯が掲げられ、夜にもかかわらず明るい。沢山の人々が本殿へと向かうためそこは更に熱い。

僕はその状況で初めての彼女とどうやって手を繋いだら良いかが分からなかった。御霊の催しであるはずなのにその気持ちは頭の中から一切除かれていた。誠に不謹慎。

歩を進めると人込みは更に集中してくる。四方に人がいて自分が望む方向に進むのが難しい。そうすると彼女と隣にいるのも難しくなってくる。どうにか努力で距離を保とうとするが群衆の圧力には勝てない。

ただ、それは当時の僕にとっては障壁ではなく助け舟だった。

「はぐれると良くないから」

僕はそう自然に口にして彼女の手を繋ぐことができた。上手い意味付けができれば行動はこんなにも簡単に起こせる。

「うん」

彼女はただそう言った。彼女の手がとても小さく、柔らかくて、少しひんやりしていることをそのとき初めて知った。

……おっと、お見苦しい青春の自分語りが過ぎたようだ。

ただそのくらい「ねぐせ。」のコンサート終わりの若者たちは僕の郷愁に訴えかけてきたのだった。

その話を歩きながら同好会会長にすると

「うわ、めっちゃ青春じゃん」

と笑われた。


そんなことをしているうちに市ヶ谷についた。今回の散歩はここで終了だ。

やはり散歩は良い。1時間散歩をするだけでこんなにも発見があり、こんなにも心を揺さぶられる。

まだまだ東京にだって知らないことは山ほどある。自分が知る以上に分からないことのほうが増えていくのだ。堪能しきれない文学しかり映画しかり、散歩も同じだ。

そんな想像できない未来から少し気力をもらいながら僕たちはまた明日の仕事のためにそっと眠る。

文責:Dekaino

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