サクちゃん方程式【中学生のスマホどうする?問題】
ちょうど1年前のいまごろ、中学生になるあーちんの「スマホどうする?問題」について、考えたなと思い出していた。
携帯電話とかインターネットがいいかわるいか、安全か危険か、などと、ピンポイントにそこだけ議論しても、キリがなくて答えは出せない。そうすると、こどもにも伝えることができない。
そういう悪循環と正解のなさに、今年もまた迷っているひとがいるかもしれない時期なので、1年前のことを思い出して書いてみる。
わたしは、自分がなにかについて判断するとき、何を知りたいかというと、「全体像と未来」だ。
細部だけ見せられると個人差がでるので、だいたいでいいから全体を見せてほしい。
この場合の細部は、「ガラケーかスマホか」とか「セキュリティをどうするか」とか「使う時間や相手を制限するか」とかだ。
全体像というのは、もっともっと引いて見たときにある「親子の信頼関係」だと思う。
まず信頼関係をみる。
我が家の場合は、あーちんを信頼しているので、どんなことでも「自分で考えて好きにすればいい」と言っている。その裏には「善し悪しは自分で判断して責任をとれ」という厳しさがある。
これは一事が万事、どんなことにおいても同じことを言い続けているからできるのかもしれないけれど、何かを制限しなければいけないとき(いつまでにこれをやって、とか、これをしないで、とか)、わたしがすこし残念に思うのは、ルールをつくらなければできないかもしれないという信頼関係をつくりたくないから。
そしてそれをあーちんにも伝える。
相手を尊重するということは、気をつかうことや言いなりになることではなくて、なにもルールがなくても相手を思いやることができるかどうかで、それはそのまますべて自分に返ってくるのだと。
ルールをつくる、さらにルールを破ることで信頼をなくしてはお互いに楽しくないから。
そして未来をみる。
未来というのは、今のことだけを見ないで、その後どうしたいの?ということを考える。
この場合、インターネットは、遮断しても制限しても、彼女がおとなになったら高い確立で必要だ。触って、知っていたほうがいい。
子供には必要なくて、大人になったら急に必要になるなんてことは難しい。いつ切り替えるというの。
こどものころ、図書館にジャンル別に並ぶたくさんの本は、ほとんどが自分には関係のないものだった。
だけど、たくさんの種類の知らないことがあるということを、本棚を見て知っていた。
そして年齢とともに少しずつ興味をもつ棚(ジャンル)が増えてきて、すきな場所がわかってくる。
それは、親に与えられた本だけを読むよりも、なぜだかわからないけど気になるジャンルや、読んでみたい本を見つけることができる選択肢でしかない。
未来をみたときに、わたしがいちばんほしいのは、選択肢だ。
親が選ぶ(選ばせる)選択肢ではなくて、こども自身のどうしようもない好き嫌いがわかる選択肢が多いほうがいい。
スマホどうする?問題で、わたしが知りたかった「全体像と未来」は、つまり「信頼関係と選択肢」だった。
この「全体像と未来から見る」という考え方は、何かを決めるときに楽だし、いろいろなことに使えるのでおすすめなのだけど、
あとはそれぞれの性格によるので、じぶんで考えて!