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『セブンルール』出演と、もらった花束のこと。

先日、『セブンルール』という番組に出演させていただいた。

おかげさまで、たくさんのクッキーの注文をいただいたり(現在オンラインショップを一時休止しています。ごめんなさい)、あたたかい感想をいただいたり、久しぶりの友人から連絡をもらったりして、とてもうれしい経験になった。

そんな中、クッキー屋をはじめる前に働いていた会社の社長からLINEが届いた。


その会社では、21歳から出産の時期をのぞいた12年間、社員として働いたのだけど、番組内でわたしは「今のわたしの生活を見て”うらやましい”と言われることがあるけど、”わたしの20代とかわってやろうか”って思いますよ」「絶対戻りたくない」という発言をしていたので、気を悪くしたかな?と、ちょっとヒヤリとした。


社長は「サクラ(私)の番組を観るために家に帰ったんだよ」「いい番組に仕上がってたね」と褒めてくれたあとでこう言った。

「でも、サクラの20代もよかったと思うよ」

「ボクも20代にフランスで修行してる時は、お金がない、友達がいない、言葉が通じない、朝早い、って楽じゃなかったし、戻りたくないな。戻りたくないから働いてるんだけどね」

不意打ちに、うれしくてちょっと泣いた。


わたしは20代には絶対に戻りたくないし、ひとに同じやり方をおすすめもできないけど、今とその頃は確実に地続きでつながっていて、あの頃の経験がすべて集大成となって今がある。それもまた絶対なのだ。

今のわたしの生活や仕事のやり方は、会社員として裏方(お菓子を作るのと売るの以外のすべてのこと)をなんでもやってきたことが基盤にある。それも、誰かに教わるわけではなく、足りないものは何か、効率の良い方法はないか、どうしたら働く人がうれしいか、どうしたら商品を買いたくなるか、とゼロから考えて、「何をするか」の仕事そのものを(勝手に)つくりだしてきた。

その結果、気がついたら「お店屋さんならできる」という状態だったのだ。(お店屋さんしかできないともいう)


時間のつくりかたについても、とにかく「保育園のお迎えの時間」が絶対的にあって、それは会社には関係のないことだから、どうやって迷惑をかけずに短い時間で価値を出すかをいつも考えていたことや、「仕事がおわるまで」ではなく「絶対にこの時間に帰る」に合わせて仕事をするクセがついたから、「時間をつくる」というのが得意になったのだと思う。


当時のわたしは、どこかいつも「迷惑をかけている」という負い目を感じていたのだけど、だからといって肩身をせまくして働くことは性格的に(自分勝手なので)できなかった。「迷惑をかけているからいろいろガマンしなければ」ではなくて「迷惑をかけないようにどうしたらいいか」だけを考えていた。

今思うと「迷惑をかけている」前提なのがおかしな話だとも思うけど、そう思ってしまうものは仕方がないし、前例がなく子供のいる働き方に理解や知識のない環境では、「全員に理解してもらう」よりも、「理解されなくてもいいから、文句を言わせない状況をつくる」という方が楽だったというのもある。


20代の当時は「将来のために役に立つから」と思ってやっていたことはひとつもないし、とにかく目の前にある仕事を全力でやっていただけだった。その点はひとにもおすすめできる。役に立つかどうか、正解かどうかはどれだけ考えてもその時にはわからないから、今目の前の仕事をちゃんとやる。それだけは習慣になって損はない。

今ある仕事がどんなにイヤでも、それを全力でやると、「この仕事がダメ」なんじゃなくて「自分の居場所がここではないだけだ」と気がつくことができる。それではじめて「じゃあどこで自分を生かせるか」と次が見えるのだと思う。「この仕事(会社)がダメだから」という理由で次に行こうとすると、「これならいいかもしれない」と、仕事や会社を基準に選んでしまい、自分の思ったのとちがった場合、また同じことを繰り返してしまう。

自分が何ができるかを知って、「自分を生かす場所」を探した方がいい。会社から何かもらおうとする立場ではなくて、まず自分のできることを差し出すと、そこに居場所ができるのだと思う。


将来のためにできることは、出し惜しみしないで目の前のこと(仕事や人)にちゃんと向き合って、それをすぐに役に立たせようとしないで、勇気をもって置き去りにしていくことだなと改めて思った。そうすると、あとからその置いてきた花をひろって花束のブーケをつくるような瞬間がくる。

今回、番組に出演したことで、たくさんの人からブーケをもらえて、すごくうれしかった。


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