未来を見てすすむ人、過去を見てすすむ人
最近、人には未来を見ながらすすむ人と、過去を見ながらすすむ人がいるのではないかと思っている。
未来を見ながらすすむ人は、自分の将来やこれから起こることを楽しみにしたり、目標をきめたり、ああなりたいと憧れをもったりして、それを原動力に前に進むことができる。
過去を見ながらすすむ人は、自分の今までしてきたことを積み上げて、そこから材料をあつめてこれからすることを決めて前に進むことができる。
「夢組と叶え組」の話でいうと、未来を見ながらすすむ人は夢をもてる「夢組」で、過去を見ながらすすむ人は夢はもてないけど、できることを武器に人の夢を叶えられる「叶え組」だとも言える。
「未来型」の友人は、自分の人生のシナリオを自分で書いているように「これからこうなるといいな」という希望に向けて努力する。もうそうなることが決まっていることかのように進み、実際に「こうする」と決めたことを確実にやりこなしていく。
一方わたしは「過去型」で、自分でシナリオを書くように進めたことは一度もなく、先のことは「何があるかわからない」と自分で決めることではないように思う節がある。そのかわり、自分のしてきたことを歴史の巻物のように書ける。その過去があるから地続きに現在の自分があるという思いがつよい。
ふと思い出すのは、フィギュアスケートの演技前、羽生結弦選手は「金メダル(得点)が目標です」と言い「未来」を見て奮い立たせているように見えるし、浅田真央選手は「練習は、してきました」と言い「過去」の自分のしてきたことを自信にしているように見えた。同じように目標を達成するにもタイプがちがうんだなと思った。
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その「違い」を比べたいけど「未来型」の思考はわたしにはほとんどないので、今回は「過去型」のわたしの経験を書いてみる。
洋菓子店で会社員として働いていたとき、「将来自分のお店を持ちたい」と未来を見据えて夢をもって働く人が多いなか、わたしはとくにやりたいことはなく、会社内で必要なことを見つけてあらゆる問題点を解決して回り、足りない部分を補足して10年がすぎた。自分でも自分の仕事がなんなのかよくわからない状態だった。
悪い方向から見ていうと「やりたいことをしていない」「専門の技術がない」「目標や目的がない」ままあっという間に時間がすぎた。だから当時は今後どうしたものかと途方に暮れた。
でも、時間がすぎた分「してきたこと」はたくさんある。それが当時はただの作業だとしても、振りかえるとその中にたくさんの価値があった。
たとえば、お菓子のレシピと作り方をデータに残す作業をしていたのだけど、はじめて見る人でもわかるように、つくる人の気持ち(火加減や止めどころの不安)や時間(何を先にやればいいのか)を想像しながらわかりやすくみじかく書くのは、「言葉で伝える」においてかなりいい訓練だったなと今になって思う。
それから、常に商品をつくる職人さん、販売員さん、お客さんの全部の視点からものを見て、つくる人の効率や表現、買う人の需要や気持ち、とどける人の方法や仕組みをいつも考えていた。それは当時は「会社の売り上げのため」だったけど、ものをつくって届けることの経験は身にしみていて、届けるものがチョコレートから文章や他のものに変わっても、その考え方はどこでも使うことができる。
当時、社内では「いちいち考えないでただやればいいのに」「余計な仕事を自分で増やしている」と言われてたことが、今は大きな価値になっていると思える。
「やりたいこと」じゃなくても、自分の好きなやり方でやることはできる。ちゃんと向き合って自分のやりかたでやってきたことは、あとから振り返って「わたしはこれをしてきたよ」と言える。その中に「自分だからできたやり方」が見える。
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10代のころから「将来はこれをしたい」と言える「未来型」に対して、「過去型」のわたしたちはそれが見えないことで焦ってしまうことがある。でも、まだ何もしていない20代には「積み上げてきた材料」が集まっていないのでしかたがない。
「過去型」の人は、20代はとにかく目の前のことにちゃんと向き合うことで「できること」を積み上げていく時期だから、「やりたいこと」がなくても大丈夫だと言いたい。逆に言うと「やりたいことではないから」と時間を潰すだけでやっていると材料は集まらないとも思う。
30歳になったときに、自分のしてきたことを集めて目の前に並べてホクホクとし、「さてこれで何ができるかな」「誰と組んだらいいかな」「どこに行ったら役に立てるかな」と改めて「やりたいこと」が見えるはずだ。
と、これも「過去型」のわたしが自分のしてきたことを振り返って書いているのであって、何歳になっても積み上げては振り返って、それを並べ替えたり組み合わせたりしながら先に進んでいくのだろうと思う。
「夢」は未来だけではなく、過去のなかにもあるんだよという話。