怒っている人の話は聞かない、不機嫌禁止ルールの話
わたしにはいくつかのルールがあって、そのうちのひとつに「怒っている人の話は聞かない」というのがある。
怒られるのが嫌いというのがいちばんの理由なんだけど、怒っている人からは「怒ってるなー」としか伝わってこないし、怖いので関わりたくないし、萎縮して話の意図が伝わってこないから、お互いにいいことがないので「怒っている人の話は聞かない」と決めている。
では怒っている人に対してどうするかというと、「伝えたいことがあるなら普通の言い方で話して」と言う。
以前、会社でマネジメントというかほとんど保健室のおばちゃんみたいな役割だったときも、スタッフが駆け込んできて「聞いてくださいひどいんですよ!」と怒りながら仕事や上司の不満を話す場面でも、怒ってる人の話は聞かないことにしているので「言いたいことを紙に書いてもってきて」または「ちょっとまずお散歩いってきて」とクールダウンしてから話してもらっていた。
その決まりは、セブンルールに出演させていただいたときも「不機嫌禁止」というルールとしてあげた。
不機嫌そのものがわるいというよりも(気分の上下はしかたがない)、言葉を使わずに威圧的な態度で人を動かそうとするのは傲慢で失礼なことだと思うから、その空気は汲んでやらないよ、意思表示の方法としては0点、交流ノーカウントよ、というルールだった。
対等に付き合いたいなら手を抜かずにコミュニケーションをとってねという表明でもあった。
自分の機嫌をコントロールできない大人は赤ちゃんと同じだ、とよく聞くけど、そういえばわたしは子供に対しても「怒ったり悲しんだり悔しい気持ちで泣くのはもちろんいいけど、泣くことで大人を動かそうとしないでほしい」と彼女が小さな頃から伝えていた。
泣いて困らせて大人が根負けするのを待って何かを買ってもらうとか、都合のいい方に動かそうとするのは(買って買ってとジタバタ泣くようなシーン)我が家に関しては通用しないのでよろしくねと。
その変わり、泣きたいだけ泣いた後で、どうしたかったのか、何がイヤだったのかを話してみて。全力で解決するから。と言っていた。それを繰り返していたら、泣いたあとで言葉で言えるとこの人は解決してくれるということがわかって、泣くことと伝えることは別だという認識ができた。
わたしは「泣き終わったら何がイヤだったのか教えてねー」と言い、彼女も「ちょっと今泣いてるから待っててね」などとと言っていた。(そして若干の説明魔にもなったけどご愛嬌)
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怒りや不機嫌さと、人に伝えることは、一緒にしないで別のものとして扱うといい。でも、それができない人もたくさんいる。
人が怒るときはだいたいが「大事にされなかった」と感じるときで、相手に対しての恐れが同時にある。自信がなくて言えない(から態度で表す)のも同様に相手に恐れがある。
怒りをそのまま人にぶつけてしまったり不機嫌な態度で人を動かそうとするのは、プライドが高くて人を許せないとか自信がないから言えないという理由があって、その裏には「相手を信頼していない」という原因がある。自分を大きく見せたり逆に自虐する行為は相手を怖がって信じていないということだ。
ほとんどの人が、自分がなぜ怒っているのかわからなかったり、言葉では言えなかったりする。
自分が大事にしているものが何かを知らないと、傷ついたときにショックで反応することはあっても「ここが痛い」と言うことができない。
相手を信じられるかどうかは、自尊心を保てるか、という問題だと思う。
「自尊心を保つのに重要なのは、自分とも他人とも戦っていない状態である」と言われている。他人のことも、自分のことも、わからないと怖いのでつい戦ってしまう。
さらに「自尊心に最も重要な影響があるのは、自分自身で選択したということである」というように、他人の評価や対応に反応するのではなく、自分の態度や表現を自分で選んで決めるには、自分自身をよく知らないとできない。
自尊心を保つためには、自分の欲や、感情や、自分が何でよろこぶか、何がイヤか、を知ることがなにより大事だ。
わたしが子供にしていた「言葉で伝えてね」というやり方は、自分自身を見つめて知るとてもいい方法だったんだなと思う。そこには「コントロールされたくない」というすこし不純な動機と、「手段として対応するのではなく本気で解決したい」という大袈裟なまでの関心があった。
これからも怒っている人の話は聞かないし、不機嫌な人の空気も汲まないけど、怒っている人や不機嫌な人に対してできることは「あなたに関心があります、知りたいです」と伝えて、相手の恐れを取り除き、だから言葉で伝えてくださいねとお願いすることかもしれないな。
(そう思えない人、つまり関心を持てない、信用できない人からは離れるという判断のものさしにもなるな)