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お墓参りの言い訳

もしも父が生きていたら

毎年命日に、そう思う。
坂の上にある墓地で、乾いた墓石にお水をつるつるとかけながら思い出す。


16年前、蒸し暑い夜の深い時間にプルルと電話がなったとき、わたしも母もなぜかコール音の少し前に目が覚めた。きたね、と母は言った。きたな、とわたしも思った。父が倒れてから4年間の入院生活に終わりを告げる音だった。

脳梗塞をおこし、駅の階段から落ちて脊髄を損傷し、言語と身体のほとんどが不随になったまま、意識だけははっきりとある状態で4年をすごした。まだ学生だったわたしは、学校生活と同時に入院費のための労働とお世話の日々だった。4度の転院をくりかえしながら、その間、父はいつ亡くなってもおかしくなかったので、いつも頭のなかで死について考えざるを得なかった。


死について考えるときは、おのずと生について考える。

死んでしまうこと、いなくなること、会えなくなること、話ができなくなること。それは、生きていないとできないことを思い知らされる。会えること、話ができること、笑い顔をみれること、一緒に考えること、さわるとあたたかいこと、おなじ景色を見ること、瞳に自分がうつること、思い出をつくること。

つまり4年もの間、わたしはずっと父の生について考えていた。

わたしと父は相性が悪く仲がよくなかったけれど、病気になったからといって、死んでしまったからといって、過去をすべて美談にはできなかった(たぶん彼もそう)。だけど、そうしてごまかさずに過去をちゃんと見ることができたことで、同時に現在や未来について考えさせられた。死ぬときですらごまかせないのだから、生きているうちにちゃんと相手に表そうと思えるようになった。


もしも父が生きていたら、と思うのは、圧倒的な不在を感じるときだ。

紙を42回折ると月に届くというように、「もしも」も重ねると宇宙に届くのだろうと、そのキリのなさに、たったひとつの現実の尊さを感じたりする。そして、「もしも」を逆にさかのぼっていくと、たったひとつのことにたどりつく。

それは、父はわたしの父で、彼がいないとわたしは存在しなかったという事実だ。まあ、それだけでいっか、と、今年もお墓をきれいに掃除した。



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桜林 直子(サクちゃん)
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