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ヒマをみつけて ヒマを知れ

だれかと比較しようもないのだけれど、物心ついてからいつもヒマだ。

時間があるとかないとかではなくて、たとえば朝から晩まで予定があっても、今週やるべきことに追われていても、ヒマだ。これはなんなのだろうと考えた。


こどものころ、ヒマなのでいつも図書館にいて本を読んでいた。夕方、借りられる上限の5冊を借りて帰って、その日のうちに読み終わってしまい、またヒマになる。マンガ雑誌「りぼん」の発売日には、朝コンビニで買いに行って、登校前には読み終わり、せっかくの楽しみも一瞬で終わってしまう。

宿題もヒマつぶしでいつも忘れなかったし、日記も毎日つけていた。ともだちとの交換日記も、みんなは書くのに何日か要するのに、わたしはその日のうちに書き終えて、すぐに手から離れてしまう。

そして、なぜか3姉妹の中でわたしだけ、やたらと早い時間に(20時とか)寝かされていただけど、もちろん眠れないので、ふとんの中でも毎晩ヒマだった。

高校生になって、部活をしたり彼氏ができたりしても、社会に出て、朝から晩まで働いて週に一度のお休みでヘトヘトになっても、こどもを産んで、子育てで寝不足でも、このヒマな感じはなくならなかった。

みんなはどうなんだろう、ヒマじゃないのかな?と疑問に思いつつ、確かめようがないまま今日に至る。


せっかちで先のことばかり考えているからかしら、とか、単に人気がなくて予定がないだけなのかしら、とか考えてみるけれど、最近わかってきたのは、これは、わたしがいつも「やりたいことがない」というのと同じことなのではないかということだ。

自分から湧き出る「どうしてもこれをやりたい」ということがなく、そのかわり「やることがある」というのを望んでいた。「やることがない」というのがいちばんの苦痛で、やることさえあれば、それを楽しんでちゃんとやることができる。

これは、わたしがお店をやりたいとかお菓子をつくりたいという気持ちがまったくなかったのにクッキー屋さんをやっていることや、結婚したいという気持ちがわからないまま、こどもを産んでひとりで育てていることにも通じるんだろうなと思う。

そこにやることがあるから、やっているにすぎない。
やりたいことを探すのではなくて、やることをつくっている。
なぜならヒマだから。


ここ数日、ちょっと落ち込むことがあっていろいろと考えていたのだけど、落ち込むのはヒマでしかたがなかった。向いてないからもうやめた。そしてまたわたしはやることをさがしている。

これもまた最近すこしわかったのは、わたしがヒマだなと思わないときは、ひとと話しているときと、なにかを書いているときかもしれない。

これがどういうことなのかはわからないけれど、時間を埋めるだけではこのヒマな感じはなくならないのだろうし、どうでもいい予定を詰め込むことは望まない。おそらくポイントは「誰かがよろこぶことで、尚且つ、じぶんもよろこぶこと」をやらないといけないということだと思っている。

スチャダラパーはこう歌う

ひとは必死でヒマをつぶしているだけだ
この世の多くでかいものの発想自体 ヒマのたまもの
ヒマ人どもよ立ち上がるときだ
ヒマを見つけてヒマを知れ
ヒマを生き抜くつよさを持て

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桜林 直子(サクちゃん)
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