わたしの思いをジョークにしないで(お母さんキャラ設定、やめませんか)
喫茶店で、隣のテーブルでおしゃべりしていた60代くらいの女子トークを聞いていて、思い出した。
母の世代のひとたちは、演技がすごかった。
明らかに、電話に出るときや親同士で話すときに、声色がかわって、キャラをつくっていた。
嫁として、母として、それが求められてきたのだろうと思うし、そのまた親の世代なんかは、それよりももっと役割を求められていたのだろうから、それを見てマネをして、そうなっていったのだと思う。
子供ながらにぼんやりと「おかあさんってそういうものなのかな」と思っていた。
そして、自分があの頃の親と同じくらいの年齢になった。
カフェなどで、ママ友たちの集まりを見かけると、やはりキャラをつくっているように見える。
全開で同意のリアクション「そうだよねー!わかるわかるー!」、全力で謙遜「そんなことないよー!うちなんか、ぜんぜんだよー!」、微妙な言い回しの悪口「なんかちょっとたいへんだよねー(笑)ってかんじ?」
きっとこの人たちも学生の友達と話すときは、こうじゃないんだろうな、と思う。
いつの時代も同じように母親コミュニティーは大変よね、と言いたいところだけれど、
それ、自分の母親がしていたことのマネをしているんだろうけど、もう、やめませんか。
「おかあさんってこういうものだよね」というすりこみを、取り払いたい。
今はすっかり、男は、とか女は、と、わけるような話はイヤだよね、という時代だ。そうあったほうがいいとわたしも思う。
いや、ごめん、ほんとうは、どっちでもいい。
男は、女は、とわけることをいやがり、つよく反応するということは、そのことについて、つよく意識しているということだ。
わたしはその意識がそもそもあまりない。
男だろうと女だろうと、2分割ではなくて、100人いたら100分割でただの1(個)で、そのひとりが、たまたま男だったり女だったりするだけ。と思っている。
とはいえ、考え方に「そうくるか」と驚く人もいるけれど、いやだったらその環境(ひと)から離れていいと思う。いやな思いして、わかり合えないのがわかっていて、それに付き合うのは、人生の時間がムダだから。
うごきはじめた時代の境目で、一気にみんな同じ考えで動こうなんて、きっと生きてるうちには無理。
ただ、その人たちの文句をいうこと以外に、何ができるかというと、
あらゆる立場での設定をなくしていくしかないのだと思う。
そして、個のキャラを活かした役割をゼロからつくるしかない。
ひとまず、お母さんキャラの古典をくずしませんか、と思う。
こどもが親になったときにまたマネするから、いま、お母さんプレイをやめたらいい。きっとみんなも違和感あると思うし。
あれ、コントだから。
あと、子供たちがいる前で自分のこどもを謙遜してサゲて話すのも、やめた方がいいと思う。
こどもたち、聞いてないふりしてくれているけど、ぜんぶ聞いてるから。
以前、ママたちが集まっているときに、どこかのお母さんにあーちんのことを褒められて、わたしが「ああ、あーちん、ほんとうにすごいですよねー」と言って謙遜しなかったら、空気がピタッと止まったことがある。
たぶんコントのシナリオ上では「そんなことないですよー」だったのだろう。
でも、わたしが褒められたわけじゃないし。
その後、わたしにできた数少ないママ友は、お互いのこどもを褒めても、謙遜しないでむしろ自慢し合うひとだけだ。
ちゃんと、寄ってきてくれる。(少数派のへんな人ばかりだけど)
こどもの環境は親次第なのなら、親が、自分のすきな環境をつくるまでだと思う。
そうやって時間がかかっても、演技の必要はないと伝えたい。
次世代のためにできること。
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